風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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龍の玄、影の黒 - 6 -

 奥を奥まで行った更に奥、九龍達はやがて豪奢な扉に辿り着いた。錠が掛かっていない。押せば、開いてしまうようだ。
「押しちゃうよーん」
「緊張感ねぇな」
「どうせ入るんだもん。緊張してもしゃーないっしょ」
「同感だ。行こう」
 力を込めた九龍の手の先で、ゆっくりと扉が内側へと開いていく。中は、夜目の利く人間が見ても真っ暗だ。先のない、そこから吹いてくる生温い風。昏い臭いがする。
「うわ、ヤーな感じ」
「背筋が痛いっていうかな」
 九龍と甲太郎が二人して顔を顰める隣で、壬生だけが、その感覚に慣れたような顔をする。暗闇と妖魔は、壬生の管轄内だ。遺跡の怪しげなトラップよりは格段に耐性がある。
 先を行こうかと思ったが、視線を強くし、呼吸と気配を薄めた九龍が真っ先に部屋の中に踏み込んだ。立ち姿は、まるで暗殺者のそれ。かつての自分の後ろ姿がそこにあった。
 そして、その背には守るべき者。いや、共に闘う者なのか。
 九龍から見えてないのをいいことに、壬生はほんの僅か、口元を緩めた。そういえば、自分も誰かと共に闘うなど久しぶりのことだ。懐かしさが込み上げて、そして胸の内に落ちていった。
 気を引き締める、それと同時に九龍の気配も鋭さを増す。甲太郎がアロマパイプを甘噛みする音が響くほどの静寂に、波が立った。
 うっすらと見え始めた、祭壇めいた何か。まるで小山のようなそれに、九龍は近付いた。
「何だ?これ…」
 祭壇に立っていたのは人物の像だった。そこに、深々と刺さっているのは、瀟洒な羽根の細工を施された一本の矢。手を掛けそうになって、留まったのは過去の様々な経験からだ。一応H.A.N.Tで読み込むと、照合するデータはないものの、歴史的にはかなり古く、希少価値は高そうだということだった。
 調査という名目なら、これも持ち帰った方がいい。次にいつここに来ることができるか分からないのだ。どうせやるなら思い切りよくやってしまえ、というのが心情であり、今日もその通りに気前よく矢を引き抜いた。
 途端。
 何かが崩れるような壊れるような迫り上がるような削れるような。とにかく不安をかき立てられる轟音が辺りに響き渡る。咄嗟、九龍は跳び退り、甲太郎と壬生を庇うような位置で銃を引き抜いた。
 愛銃のフル・チューンは、スコープだけ外してある。暗い中でのスコープは逆に視界が悪くなるのだ。
 ノクトビジョンを起動させ、暗闇を探る。視認、音、空気、本能、勘、すべてを総動員させて危険を探る。九龍が、野生に最も近くなる瞬間、何かの気配が引っ掛かった。
 同時にH.A.N.Tが敵襲を告げる。
 ―――んなこと分かってら!
 そろそろH.A.N.Tも改良してもらわないと。探知機が人間よりも劣るなんて意味がないではないか。
 頭の端でそんな事をちらりと考えながら、乾いた唇を舐める。こめかみを伝う汗とは裏腹に、心情は、高揚。
「アグレッシブビーストモードチェーンジ、って感じ」
「何だ、そりゃ」
「野生化だよ、知らないの?」
「知らねぇよ」
 軽口をたたき合い、九龍と甲太郎はいつも通りの散開態勢を取った。ノクトビジョンを備えた九龍が飛び出し、敵の索敵と情報収集。甲太郎は回り込み、九龍と敵の距離を測りつつ、合図が出たら攻撃に入る。
 そこに、今日はおまけが付いている。しかも、そのおまけは本体と同等に強力なおまけだ。
 突っ込んできた墓守を軽くあしらうように跳んだ黒い影は、コートを翻して何かを飛ばした。
 発光する白い紙。標のようにも見える符が飛んだ先に顕現していた墓守は、一瞬全貌を辺りに曝した。
(―――人型!?)
 圧倒的な氣から、化け物じみた何かを想像していた九龍は、あまりに人間然とした佇まいに違和感を覚えた。天香で見た人のような形をした化人達、それ以上にその姿は人間だった。
 白く棚引くローブのような衣装をはためかせて、まるで躍るように宙を舞う。
 優美な移動の様子に、見惚れかけた自分に気付いて九龍は舌打ちをした。
「ただでさえ、人みたいなのは撃ちたくねぇのに…」
 顔が判別しないのが唯一の救いだった。あの身体に美少女の顔が乗っていたら、降参確実だろう。
「甲太郎、敵は人型一体、能力値、攻撃方法不明、迂闊に近付かないでとりあえず出方を待つッ」
「了解ッ」
「壬生さんも、それでお願いします」
「ああ」
 双方からの端的な言葉を聞き終えるか否か、警戒に警戒を重ねた九龍の元へ繰り出されたのは波動が目にも見える衝撃波。白い波形は、墓守から全周回で放たれている。
 けれど、氣を波動として飛ばす化人のほとんどと同じように、発信源から離れれば離れるほど威力は弱まる。五メートルほど離れれば、衝撃波に触れても肌がピリピリする程度で済んだ。
(行ける!)
「CQC(近接格闘戦)は不利だけど、俺が射撃で攻撃波形を乱すから、そこに突っ込んでくれッ」
 二人の了解の声を聞くまでもなかった。構えた銃、スコープを外したM92FSMAYAコンバットと超攻撃型の砲介九式が光る。甲太郎にも壬生にも、そのマズルフラッシュは見えていた。拳銃とは思えない威力の弾を二挺同時に浴びて、化人は合成音のような薄気味悪い声を漏らした。
 間髪入れずに格闘戦に特化した二人が強襲を掛ける。甲太郎の痛烈な一撃で化人の身体は傾ぎ、壬生のカランビットが身体を裂く。
 相手に攻撃の間を与えない連撃の後、背面と前方、両側から放たれた容赦のない上段蹴りは、化人を挟み込むように直撃し、中心で抉られた身体を錐もみさせた。
「……おー…、痛そ。」
 少し離れた位置でそれを見ていた九龍は、あまりに苛烈な攻撃を目の当たりにして顔を歪めた。二人とも、格闘技のセンスが段違いに高いのだろう。打ち合わせもないのに、その連撃はまるでコンビネーションのようだった。
「おい、片付いたみたいだぞ」
「へ?」
 首を捻っているところを呼ばれ、顔を上げる。
「もう?」
「ほれ」
 近付いてみれば、すでに化人の原型はなかった。ただ、白い布が床の上に落ちているだけで、邪悪な気配も何もない。あれだけ背筋が総毛立ったのは一体何だったのかと言うほど、呆気ない決着だった。
「な、なんか呆気なさ過ぎない?」
「そうだな。……でも、もう変な感じはしないぞ」
「だよねぇ」
 首を傾げ、けれど何の異変も起こらない部屋を見回し、九龍はノクトビジョンを解除させた。ゴーグルを持ち上げ、銃もホルスターへと戻す。
 殺気はない。妙な違和感が残る物の、それは戦闘後にはよく感じる類の物だ。気にも留めずに振り払ってしまう。
「さーって、じゃあ終わりって事で、引き上げますか。結局この変な羽根の付いた矢が秘宝って事で、いーのかな」
 人差し指と親指でつまみ上げて眺めると、それを再度H.A.N.Tに取り込み、アサルトベストにしまい込む。これで一通りの調査は終わりだ。前振りがああだった割には呆気なかったな、と頭を掻く。
 けれどもこれ以上ここには何もないように思い、入ってきた扉に向かおうと踵を返して、直後。
 尋常ではない悪寒を感じた。それは、この部屋に入ってきたよりももっと強大な。身体が身震いするほどの。言うなれば、殺戮感覚が強制的に呼び起こされるような、何か。
 振り返るか否か、それとほぼ同じタイミングで三人が飛び退った。
 直後、床を抉るのは硬質な凶器。
「……ッ、何だァ!?」
 着地した九龍が、甲太郎が、壬生が見たものは、光の塊だった。
 倒したはずの敵、その残骸だったはずの白い布が何かの形を取って蠢いている。取り囲むのは六つの光。
 つ、と九龍のこめかみを汗が伝った。
「まだ終わってなかったようだな」
「…あんた、何でそんなに落ちついてんだよ」
 甲太郎が言うように、壬生はまったく落ち着いて見えた。顔色一つ変わっていないようにすら見える。
 本人に言わせれば慣れの問題なのだそうだが、生憎と《宝探し屋》は普通の人間の集まりだ。超常現象に慣れ親しんでいるわけではない。
「ど、どーすりゃいーんすか!?」
「おそらく、あれは儀式だ。完結すれば、何かが生まれると考えられる」
「げげッ…止めなきゃまずいっスね」
「いや、……もう、遅い」
 壬生の視線の先には光が力を増し、白い布切れが膨れあがる光景があった。彼の舌打ちを聞きながら、甲太郎に厳戒を告げながら、無意識にホルスターから銃を抜きながら、知る限りの、中国に残る伝説という伝説を頭に思い浮かべては消していく。
 女咼、患、獲猿、饕餮……甦るってなら鍾馗か?ヤ、でも六つの光の意味が分かんねぇ!
 分からないながらも抜いたベレッタの標準を光に合わせる。
 数発、銃弾を、射出。しかし、光の壁に阻まれて全段反射されてしまう。
 発射と同じスピードで跳ね返ってくる9パラ弾を間一髪かわし、その場に転がる。
「九龍ッ!!」
「こっちはダイジョブ!」
 少し離れた位置に立つ甲太郎に無事を告げ、すぐさま体勢を立て直して立ち上がった。
 あれは、何だ…?
 未だ、光は増殖を続ける。目を眩ませながらも視認を続けると、六つの光一つ一つが女性の姿を取っていることが分かった。それも、中国で言う巫女のような…
(六つ……巫女?)
 巫、それはシャーマンを意味する。六人の巫と言えば、崑崙を守護する開明獣と共にある巫彭、巫抵、巫陽、巫相、巫履、巫凡だ。彼女らが甦らせた神を、九龍は一人だけ知っている。
 思い当たると同時に、儀式は完了したらしい。膨大な光の炸裂に今度こそ完全に目が眩み、数瞬間視覚を失った。  次に見た景色は、……化け物が、目の前に飛び掛かっているという最悪なもの。
「ッ―――!?」
 目の前のハレーションのせいで頭が働かない。飛び掛かられることは覚悟し、両手に持つ銃で衝撃を軽減させようと構えた、―――が、その直前、化け物の巨体が横薙ぎに飛んだ。
 驚く間もなくバックステップで距離を取り、銃撃を開始する。その身体には紙切れが数枚、まるでナイフのように刺さっていた。
「無事か?」
「壬生さん!」
 カランビットを構えた壬生が、空いた手に符を数枚持っている。礼を言おうとしたが、ああ立ち姿が格好良いだなんて思っている暇すらない。
 バカでかいその化け物は、倒れたがすぐに起きあがり、三人を振り返る。
 その姿に、九龍はどこかで聞いた『頭はなんたらで胴体は別の何たらで尻尾はまた別の…』という伝説めいたものを思いだしていた。
 記憶を探る。手繰る。引き寄せて、思い出す。
 その記憶をどこから仕入れたかは覚えていない。けれど、『頭は龍、身体は虎、馬の尾を持つ疾風の如く素早い魔獣』という情報だけはどうにか引っ張り出すことができた。
「……猰貐…、アツユだ、たぶん」
「あつゆ…?」
「そ。あ、けものへんに契、と兪でアツユってんだ。それとよく似てる」
 実際に見たことはないが、神話体系の資料では何度か見たことがある。どの国にも様々な動物を寄せ集めた化け物というのはいるものだが、おそらくはそれに類するものだろう。
「厄介だ、ぜぇ…」
 九龍の言葉に、甲太郎が舌打ちで返す。二人の間に飛んできた長い尾をステップを、踏むようにかわして生身の顔を腕でかばう。
「九龍、弱点攻めで一気に叩くぞッ」
 視認できぬ場所から甲太郎の声が響いてきた。「あいよッ」と勢いよく答えて、四つん這いの墓守の頭部、脚部、背面などを次々と攻撃していく。
 しかし。
「ッ……何だってんだ!」
「どうした?」
 後方へ引いた九龍の隣に壬生が立った。本当に気配がない。
「弱点…見つかんないんスよ…頭、脚、後ろ、上、尻尾…あと、どこだ…?」
 次の瞬間、またも尾先が振り下ろされ、二人の空間を引き裂く。
 咄嗟、飛び退いた壬生は、視界の端で九龍が顔を歪めるのを確かに見ていた。その、次第に激情へと上り詰めていく眼の色は、とても好きだと場違いに思う。もっと追い詰めればおそらく、今持つ冷静なも飛んで、また自分と対峙したときのように変貌するのだろう。
 いや……今は皆守甲太郎がいるから、また別の変化を見せるのか。
 暗闇の化け物から目は離さずに、思考だけを僅かに遊ばせながら、壬生は仕込んでいた符を次々と投げた。端に見える閃光は、九龍の放つ9パラ弾だろう。視界の逆端では音もなく墓守の懐に飛び込んだ甲太郎が痛烈な蹴りを見舞っていた。繰り出される攻撃も紙一重で見切り、カウンターまで返すという体捌き。
 内心で驚愕する壬生は、甲太郎の能力が遺伝子レベルで常人と違うなどと言うことは知る由もない。
 そんな視線に気付くこともない甲太郎は、マズルフラッシュを頼りに九龍の元へと駆けた。
「この野郎、全然効いてないぜ」
「っぽいねぇ。もっと派手にいかなきゃ、ダメですか」
 水没したせいで爆薬の類は数が少ない。弱点を見つけてから使いたかったが、それを見つけることができないのだから仕方ない。力押しで、乗り切る。
 手製の安全ピンを外し、墓守に向かって投げつける。手製な上、即席だ。威力や信用性に些かの不安はあるが……どうだ?
 爆発に閃光や轟音はない。ただし顔を庇いたくなるほどの高温を感じ、直後、湿っていたらしい火薬の燻り出す煙が一気に辺りを覆い尽くした。
 ―――効いたか?
「まだだッ」
 壬生の声が珍しく切迫した色を帯びていた。
 声に反応するのとほぼ同時、並ぶようにして立っていた九龍と甲太郎の間を引き裂くように、煙幕から姿を現した化け物。龍の頭に並ぶ牙が、甲太郎に向いている。
 咄嗟、コンマ数秒早く反応した九龍が甲太郎の前に身を躍らせた。
「ぐッ…!!」
 牙が、腕にめり込む。一瞬で立ち込めた血の臭いに目眩がしそうだ。痛みに意識を持って行かれそうになるが、「九龍」と自分を呼ぶ声がどこかから聞こえてくるのを頼りに現実を踏み締める。
 目の前には龍の眼。射すくめられそうな殺気で睨み付けている。負けない鋭さで睨み返しながら、今更こいつが甲太郎を狙ったという事実を思いだした。
 巨大な頭を一振りでもされたら身体ごと吹き飛ぶか、腕を千切られるかするのだろう。けれどその恐怖よりも憎悪が勝った。生きるか、死ぬか、殺すかならば殺すことを選んで生きてきたのだ。
 こんなところで負けるわけにはいかない。
 獣が啼くように唸りながら、開いた左手の銃を龍の眼にセットした。
「腕くらい、くれてやるッ…!」
 バーストのタタタン、という痺れるような反動が腕に伝わると同時に、噛み付かれた右腕が完全に潰れる感覚が背筋を冷たくさせた。痛みよりも、身体の一部を損傷したということのほうが堪える。
 一方、化け物の方も右眼を失い、その一撃は効いているようだ。
 咆吼の瞬間に腕を引き抜き、転がるように後退し、手早く腕の止血をする。肘関節から下はもうダメだ。使い物にならない。
 血塗れになった袖を引きちぎって口と左手で右腕に巻き付ける。その処置が終わらないうちに、畳み掛けるように化け物の蹄が飛んできた。
 失血性のショックと痛みで朦朧とする頭では判断力が鈍る。どちらに避けるか、反撃か、決断が着かないまま立ち竦んだ九龍はふらふらと銃を突き出していた。
 定まらない標準が更に激しくぶれる。その先には黒い影が翻り、自分の身体はといえば襟首を掴まれて化け物の進路から引きずり退かされたところだった。
「九龍、大丈夫か!?」
「…一応、生きてる」
 壁にもたれ、歯を食いしばりながら止血を済ませた。
「お前……その腕!!」
 暗がりだが、血の臭いは隠せない。聡い甲太郎には隠せるはずもなかったようだ。舌打ちをして前髪の間から顔を見上げると、案の定もの凄い形相をしていた。反射的に同じように睨み返してしまうが、こちらの表情が厳しいのは感情の問題ではなくただ単に痛みと腕が動かない不快感だ。
「……左手は動く。問題ない。さっさと壬生さんの援護…」
「手当が先だろうがッ」
「もう止血はした。後は全てが終わってからだッ」
 脂汗を拭って、再度銃の確認をする。右手に持っていたベレッタはどこかに落としたらしい。片手では銃の装填にも時間が掛かりそうだが、仕方がない。こんな時、墨木砲介の能力があれば楽なんだろうに、と余計なことを考えてしまうのは血が抜けすぎたせいだろうか。
「無理すんな、馬鹿野郎!」
 肩を掴んでくる手。それを、思い切り振り払う。
「無理しないと生きて帰れないなら、いくらでもしてやる」
 スイッチの完全に切り替わった九龍は、真っ青な顔のまま恐ろしいほどの眼光を称えて言い切った。部屋の中では壬生がまだ戦闘中だ。あの戦闘力でも加勢は必要だろう。
「それで死んだら元も子もねぇだ…」
「……うるせぇな、少し黙れ」
 言うが否や、左手で甲太郎の襟首を掴み引き寄せた。血の臭いと味のする、まるで噛み付くような口付けを一瞬だけ。思った通り、甲太郎は黙り込んだ。それを確認し、口の端を吊り上げた九龍は軽く胸を叩く。
「俺は、こんな所で死ぬつもりはない。……続きは後でな」
 痛みはもう忘れることにした。生き残ることしか考えなければ、腕の一本程度なんということはない。
 熱の残るもう一人の『恋人』の銃口に口付けて、呆ける甲太郎に「行くぞ」と声を掛け、走り出す。
 壬生は、化け物を相手に一進一退の攻防を繰り返していた。九龍達とは違う、物質以外の力を込めたカランビットは、確実に手傷を負わせていたが致命傷を与えるには至っていないようだ。
「壬生さんッ」
 呼びかけに振り返った壬生は、腕の状態を見てだろう、思い切り眉間に皺を寄せた。綺麗な顔が綺麗に歪む。
「あまり動かない方がいい。……死ぬぞ」
「死ぬつもりはありません。生きて帰るには、戦うしかない。弱点は?」
「眼球への攻撃は効いたようだが…決め手というには欠ける」
「了解」
 負傷したまま動き続けるのは確かに危険だ。手数を増やす戦法も取れない。ならば…。
 再度食い付こうと頭が下がってきたところをかわし様、二本の角の一つを掴む。そのまま地面を蹴り、左手一本で両脚を身体ごと振り上げた。逆さまの体勢から、思い切り足を振り下ろし、残った左眼をコンバットブーツで蹴り潰す。
 衝撃で一瞬飛びそうになった意識を呼び戻し、地面に叩き付けられる直前に着地態勢を取る。
 それからすぐ、隣に飛び込んできた壬生を見上げる。
「壬生さん、数カ所を同時に発破することは?」
「小規模なら、可能だが」
「アレに、お願いします」
 失血している状態での長期戦は不利だという判断だろう、それだけ告げて跳んでいきそうになる九龍を引き留める。
「可能性があるならやってみようか。……それから、これを」
 壬生が差し出してきたのは、狼のレリーフが彫られた白銀のブローチだった。鎖が長く付いている。
「これは?」
「お守りだとでも思ってくれればいい。気休めにはなるはず」
「…ありがとう、ございます」
 深くは追求せずに胸元に潜ませ、墓守を振り返った。
 両眼が潰れているにもかかわらず、こちらの居る場所は分かっているようだ。突進の体勢に入っている。
 壬生は、嘆息を一つ。次の瞬間にはすでに数枚の符を構えていた。彼が何をやらかすのかは知らない。だが、やるというならば協力しようという気にはなっている。だから、葉佩九龍が跳ぶのを見て、符を放った。
「鎮魂歌を聴くがいい……」
 墓守に、まるで質量があるかのように刺さった符は、言葉を合図に爆発を起こした。
 吹き上がる粉塵は、攻撃の合図だ。いくら巨体でも、続けざまの攻撃、身体の内部、両眼を潰された上に身体が発破されればダメージを受けないはずがない。
 両脚を潰し、無様に転がった墓守の剥き出しの喉元。そこは、体内への銃撃で最も衝撃を食らっているはずの場所だ。
 殺るなら、今だ。
 首を仰け反らせた化け物の顎に、渾身の跳び蹴りを見舞った。
 片腕が使えないせいで体重を乗せきれないかと思ったが……なぜか、腕が動く。痛みが引いたわけではないが、血が通う感覚が分かる。胸元のブローチが、やけに熱いことに、その時には気が付かなかった。
 予想以上にうまく決まった蹴りに、巨体は仰向けにひっくり返る。
 空中に身体の残る一瞬でその事を確認し、そのまま喉元目掛けて蹴りを落とす、その時。
 隣にもう一つ舞った姿。自分と同じ、黒いコートが視界に飛び込んできた。
「陰たるは、空昇る龍の爪…」
 壬生の言った意味は分からなかった。けれど、次に言うべき言葉はなぜか知っていた。
「陽たるは、星閃く龍の牙ッ」
 誰かが教えてくれた気もする。そうでなかった気もする。けれど、それは正しかった。壬生が微笑んだ雰囲気で、それが分かった。
「表裏の龍の技、見せてあげましょう…「秘奥義・双龍螺旋脚!!」」
 龍の逆鱗を蹴り抜いた脚が、光を放つのを、九龍は他人事のように見ていた。
 着地のことまで頭が回らない、それほどの捨て身の攻撃だ、ほとんど転がるように地面に叩き付けられる。床に激突した腕が凄まじく痛む。
 死んでくれ、と本気で願い、半ば涙の浮かんだ視界の中で墓守を見上げた。
 その身体は確実に薄くなったいた。消える兆候だ。なのに、真っ赤な目が九龍を見下ろした。殺意の光が見える。吼えて、倒れ込みながらも牙を剥く。
 回避しようとする。けれど、如何せん血が抜けすぎた。ふらり、と視界が揺れ、身体が動かない。
 あ、死ぬな。と。妙な諦めと、死にたくないと言う頑なさで頭部だけは護ろうと腕を構えた九龍の眼に、飛び込んできたのは見慣れた背中だった。
 断末魔を上げながら攻撃を仕掛けてきた墓守の頭部に、いっそ見事なまでの上段蹴りを見舞った甲太郎は、砂のように溶けていく姿に向かって吐き捨てる。
「……大人しくくたばってろ」
 そうして、自分を振り返る甲太郎を見て、九龍は思った。
 俺が死にたくない理由って、―――やっぱり、こいつだ。