風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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龍の玄、影の黒 - 1 -

 その日、葉佩九龍は中国にいた。
 とあるホテルの一室で正装をしている。タイを締めようか締めまいか、鏡の前で数瞬間迷い、結局首からタイを抜く。少し首周りが開いたシャツを選んでしまったせいかはたまた顔立ちに渋さが足りないせいか、追求するのは諦めて手に持つタイを放り出す。
「何だ、結局止めたのか?」
 寝室から出てきた皆守甲太郎が、からかいを含んだ声音で聞く。どこか九龍の行動を予想したかの様な物言いに、言われた方は僅かに膨れた。
「……タイ、似合わないんだよなー」
「童顔がまずいんだろ」
 言われて、九龍は鏡を両手で押さえて覗き込んだ。眼はかなり必死だ。
 甲太郎はそんな様子をおかしげに見ている。半分は冗談だからだ。
 確かに高校時代はチビで童顔、実年齢よりも外見は幼く、あの學園から離れてすぐの頃は、日本以外の国で女子供に間違えられることも多かった。けれど、今は違う。背が伸び、顔立ちも大人びた。普段は朗らかな表情をしているせいで子供っぽく見えることもあるが、真剣な表情―――特に戦いの最中の表情など、ぞっとするほど綺麗に見えることがある。
 ……鏡の前で百面相をして自分と睨み合っている所からは、想像も付かないが。
 かく言う甲太郎はしっかりタイまで締めている。きっちりというわけではなく、多少緩めてはいるが。
 九龍がタイを締めないことに、甲太郎は賛成だ。本人は気が付かないかもしれないが、首の付け根、耳の裏少し下の当たりに紅い鬱血が刻まれている。タイを抜き、シャツの首元を緩めればそれが見え隠れするのだ。
 鏡の自分とガンを付けあってる九龍からは甲太郎の表情は見えてないようだが、笑いを堪えているのは自分でも分かっていた。見るのはそこじゃないだろう、と。
 しばらく自分と睨み合っていた九龍は、何かを思いついたように甲太郎を見上げた。
「整形でもしよっかな」
「はァ?」
「もうちょっと彫りとか深くして、髭も生えやすいようにしてさ。輪郭とかもゴツくすれば多少は正装も似合うだろ?」
「 絶 対 ダ メ だ 」
 髭の生えない顎に手を遣り、唸る九龍の額を軽く叩く。
「お前の取り柄なんてその阿呆みたいなベビーフェイスだけだろうが」
「酷ッ!」
 大袈裟に傷付いた振りをしてみせる九龍だが、心中穏やかではない。自分では顔立ちの変化には気付けない。童顔童顔と言われ続けたせいで、彼の中で顔立ちはトップクラスのコンプレックスなのだ。
 本当にどうにかならないものかと、再度鏡の中を覗き込んだ。

*  *  *

 二人はロゼッタ協会所属のトレジャーハンターだ。中国にいるのもその事に起因している。
 昨年の12月に請け負った中国黒社会―――いわゆるマフィアの闇取引の件での働きの結果、その組織とロゼッタ協会とのパイプを作った。その時から貴重な秘宝や行方知れずになっていた盗掘品などがロゼッタに流れてくるようになったのは確かだ。
 頭目に気に入られたらしいという話を聞いた。心当たりが全くないわけではないが、黒社会『紅花会』からの全面協力は過剰好意とも取れるものだった。
 そして、年が明けての三月。過剰だと思っていたその分のツケか、紅花会から呼び出しを食らった。
 既に大手の取引口となっていた組織、しかも頭目直々からの「願い出」とあれば、指名された人間が出向かないわけにはいかない。
 元々は敵対組織《秘宝の夜明け》と繋がりのあった組織だけに念入りに裏調査を済ませ、本当に関係が切れていることを確かめ、手を付けていた仕事は納期を延ばしてもらい(というか勝手に延びていた)、散々仲間内で愚痴って喚いて、中国へと赴いた。
 12月の潜入調査は散々だった。レリックドーンが噛んでいたことを見抜けなかったせいもあるが、殴られ意識を飛ばされ薬を使われ押し倒されたこと数回、血塗れになり人間サンドバッグ状態になり、這々の体で逃げ出した。
 ちなみに、押し倒された数回の中に紅花会の賽主の名前も含まれているのが、九龍が中国行きを渋った理由だ。貞操観念は相当薄い方だと自認しているが、それは作戦の上でのことであって、好きこのんで押し倒されたいなど思うはずもない。
 賽主の愛人リストの中に自分とよく似た雰囲気の少年を見つけたときは本気でぞっとしたし、プロのプライドもかなぐり捨てて辞退したい衝動に駆られた。
 ……できるはずも、なく。
 表向きは大企業である紅花会には正装で行くのが礼儀であるため、余計な荷物を背負い込んでホテルに詰めた。それが、昨日の事だ。
 臨時任務の際は休暇になるはずの専属バディは事情を説明したら何が何でも付いていくと言い張り、同じ部屋を取れば名目は『恋人同士』だ。自然、次の日が仕事本番だというのに今日は何故か腰が重い。
「……あー、やめてぇ」
「珍しいな、お前がそんなに仕事を渋るなんて」
 紅花会の表向きダミー会社に向かう道すがら、九龍はハンドルに顔を伏せた。信号は目の前で赤に変わった。
 九龍が渋るのは、これでもう何度目か。普段は仕事に対して精力的なだけに、甲太郎にはその態度が不自然に見えた。
 ……甲太郎には、押し倒されたことを話していない。言ったら行くなと言われるのが目に見えているからだ。
「一度はさ、ボコボコにされた相手だぜ?痣が引くまで相当掛かったの、知ってんだろ?」
「だから俺が付いてきたんだろ」
「……そうだけど、さぁ」
 心強いことは確かだが、厄介事に巻き込んでしまったという思いは強い。
 信号が青に変わった。
「やめてもいいぞ。気が乗らないならな。そういうときはロクな事がないってのはお前の口癖だろ」
「………まぁ、ね」
 アクセルを踏みながら、少しだけ微笑んでみる。
 いつもこうして、甲太郎は九龍の歯車にそっと油を引く。背中を押すよりもさりげなく、気持ちだけを滑らせてくれる。やれと言われれば引く、やるなと言われれば突き進む、自分の性格を誰よりも把握してくれている。
 コイツじゃなければダメだなぁ、俺。
 めまぐるしく移り変わる中国の街並みを目の端だけで捉えながら、ひっそりとそんな事を思う。
 しばらく沈黙が続き、何か話そうかどうか迷い、迷っている間に目的地に着いた。
 ビル群の、その中で最も高いビルディング。事前に渡されていた通行書を磁気チェックに通し、車は地下駐車場へと沈んでいった。

*  *  *

「ようこそ、九龍君」
 通されたのは無駄に広い応接間だった。装飾の趣味は悪くない。最近の成り上がりマフィアのように、無駄に飾り立てることはしていない。これも、歴史ある黒社会故か。
「お久しぶりです、王老大」
 伸ばされた手を握り替えし、中国語で挨拶を返す。紅花会賽主は、それでも組織の頭目と言うにはやや若い。組織の規模を考えれば異例ともいえる若さだった。これならば名だけではなく、実際に組織を動かしているのが彼だというのも頷ける。チョウ・ユンファを細身にし、十年嵩まししたらこうなるだろうという容貌を備えていて、
(こりゃ若いときはさぞおモテになったんだろーなぁ…)
 口には出さずに九龍は心中で呟いた。
「そちらは、皆守甲太郎君…九龍君のパートナーだったね」
「よくお調べで」
 答えたのは甲太郎だった。12月の事件以来、中国語は重点的に学んでいるせいか、今では日常会話以上に介せる。九龍と同じように握手をしてから、勧められたソファに二人並んで腰掛けた。
「今回呼ばれた用件を聞いても?」
 珍しく、雑談もなしに九龍が本題を切り出した。
 雑談をする気分にならなかったのだ。敵対したことのある人間は一度見たらそう忘れることはない。応接間で王老大の後ろに控える黒服には全員、見覚えがあったのだ。どこでどう殴られ、蹴られたのかさえ思い出すことができる。あまり根に持つ方ではないと自分では思っているが、……こればかりはどうしようもない。
 九龍の言葉に、老大が笑う。
「君はそんなにせっかちだったかね?」
「なら、今日の株価の話でもしましょうか?もちろん、この大企業の」
 出された紅茶に口も付けずに、ぞんざいに言い放つ姿は一国の主に向かって、しかもその陣地内に身を置く立場としてはあまりに不躾なように見えた。
 そんな態度に後ろの黒服たちが一斉に嫌な顔をするが、九龍はその全員を一瞥して鼻で笑うだけだった。
「そう、だな。君としてもあまり居心地のいい場所ではないのだろう」
「それはもう。ここにいるだけでそこの方に蹴り飛ばされて折れた肋の傷が痛みます」
 隣で甲太郎が顔を背けた。吹き出しそうになるのを堪えたためだ。肋が折れたというが、そこまでの怪我でもなかったし、そのまま、夜中に散々『やりあった』くせに。
 そうと知らない、王老大はさすがに困ったような顔をし……けれど、九龍の思惑には乗らず、怒り出すこともなかった。てっきり憤慨して追い出しにかかるかとも思ったのだが、こちらの予想以上に我慢強い。
 九龍はその時点でこの話が流れる可能性と希望を捨てた。
「さて、ならば仕事の話をしよう。ロゼッタの《宝探し屋》」
 王老大が部下に運ばせてきたのは分厚い資料の束だった。渡されて、甲太郎と二人でざっと目を通す。
 それは、明らかに遺跡の壁面のように見えた。ただ、九龍の脳内にそれと合致する遺跡が浮かばない。不勉強か、と思って甲太郎を見れば同じように首を振る。
「写真は偽造ではないよ。本物だ」
「申し訳ありません、老大。勉強不足なようです。この遺跡は存じ上げません」
 素直に分からないと告げると、老大は片眉だけを器用に持ち上げて見せた。
「当然だ。私の私有地にあるものだからな。発見したのだってつい最近だ。半分ほど地下にあるものだから衛星でも見つからない」
 その言葉に、九龍と甲太郎は顔を見合わせる。つまりは、大発見だ。自分たちだけではなく、ロゼッタ全体に一刻も早く報告しなければならない。
「……それで、この遺跡がどうかしたのですか?ロゼッタに調査隊の要請ということでしたら、我々ではなく協会に直接…」
「いや、それはできない」
 九龍の言葉を、強い調子で遮った。
「その写真は本当に表面だけだ。中の写真は一枚もない。もちろん、私が調査隊をいれないはずもない……意味が、分かるかい?」
 口に煙草を銜え(葉巻ではなく、日本円で三百円ほどの中国製の安い煙草だった)、逆の指でファイルを叩く。
「調査隊が、誰も戻らなかった―――そういうことですか」
「その通り。誰一人、だよ。最後には最新式の武装までさせたんだがね」
「どれくらいの人数を?」
「四人隊を、三度」
 十二人は、おそらく遺跡で朽ちたのだろう。
「ならばロゼッタ本部に報告します。数日中にはハンターが…」
「ダメだ。九龍君、言っただろう。ここは、私の私有地だ」
「…………」
「部外者は入れたくない。ロゼッタ協会とは協力関係を結ぶ気ではいるが、協会すべてを信用したわけではない」
 なら、どうしろっちゅーねん。
 口には出さず、顔に出す。眉を顰めてみせれば、老大の煙草が九龍を向いた。
「だが、君ならば、信用できるんだよ」
「ハイ?」
「こちらからは君が必要とするだけの資料と人材と武装を提供しよう。その上で、君に依頼をしたい。遺跡の、調査を」
 無茶を言う。十二人行って誰一人戻ってこれなかった得体の知れない遺跡に、一人(バディを含めれば二人)で潜れと言う。しかも協会の手入れは許さず、全てこの組織の手を使えと、そういうことだ。
(参ったな…)
 断ろうと思えば断れた。だが、
「……協会での、仕事のことも、あるので……一度、本部に連絡をして、その上で、返事をさせていただきたいと…」
「ああ、構わない。だが、君以外のハンターが派遣されるとなった場合は、この依頼はなかったことにさせてもらうよ」
「…………分かりました」
 断れなかったのは、偏に強引なタイプに弱いせいである。自覚は、ある。相手が弱腰ならば自分も引いてしまって終いだが、押しで来るタイプには引きがきかない。隣に座って成り行きを見守る男こそがその体現なのだ。間違いはない。
 厄介なことになった。そう思って横を見れば、甲太郎は愉しげに笑っていた。
 やるんだろ?という眼。
 ああ、やってやるよ、その意味を込めて、苦々しく笑い返すしかなかった。