風云-fengyun-

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***since 2005/03***

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龍の玄、影の黒 - 2 -

 遺跡に潜る際、九龍の武装は軽装であるという一点で徹底している。
 ロゼッタ支給のゴーグルは扱いやすい様に自分で改良した。防弾仕様の黒いバリスティック・コートの下は普通のシャツに履き慣れたカーゴパンツ。だが、シャツの上には特性のアサルトベストを身につける(ベストには予備弾倉とバックアップガンが二挺収まっている)。
 ブーツの脛には薄手のポリカーボネイト板が入っていて、蹴って良し守って良し、もちろんブーツナイフも装備済みだ。
 手には平だけを被う薄い革の防刃用グローブを、腰には銃をホルスターに吊って二挺提げ、身体のあちこちに大小様々なナイフを仕込む。最近気に入っているのは全長四〇センチ近いタクティカルナイフ。鉈に近い刃形と重量配分で、ブレード部分は長い。美しく湾曲したブレードと、背に入った刃受け用の切れ込みがどこか青龍刀を思わせる。
 近接戦の得意な同僚ハンター、リック・オコーネルにナイフ・コンバットを習いだしてからはナイフにもこだわるようになった。(それでもやはり、銃器の方が好きなのは性分だと思っている。)
 ぶら下げた銃はベレッタM92FSコンバットのMAYA仕様、そして高校時代に手に入れた砲介九式コンバット。カスタムしたそれは、共に9mmParabellumを撃ち出す銃でありながら貫通力、対象破壊力はライフル弾並みに撃ち出すという化け物ハンドガンだ。
 これはもうアサルトライフル並みだろう、と九龍は思う。なのにこんなに小さくて愛おしい。
 九龍は銃が好きだ。命を預けられるというそれ以上にもっと別の、何かの命を確実に奪う物という圧倒的な力が好きなのだ。その力に支えられ、助けられて自分は生きている。
 無意識に、腰元の二挺拳銃を叩いた。
 全て装備し終えて、九龍は後ろの甲太郎を振り仰いだ。
「ほんじゃ、行くかね」

*  *  *

 王老大個人私有地は、想像していたよりも圧倒的に広かった。
 私有地に車で乗り入れてから、遺跡と思しき場所に辿り着くまで小一時間。まったく金持ちはやることが違うと、老大直属の部下の前で何度ぼやいたか知れない。(だがその部下も同じ考えのようで、小さく笑っただけだった。)
 ―――あの後、ホテルに戻ってからすぐに本部と連絡を取った。
 全てを伝えた後、半日ほどで協会の決定が出た。九龍はそのまま中国に留まり、その遺跡の調査に潜ることになったのだ。協会としても、何としても九龍に、という意思を汲んだと同時に、繋がりをもっと深くしておきたい、ヘタに事を荒立たせたくないという思惑もあったのだろう。
 仕方ないと諦めて、装備を揃えるために丸一日時間をもらった後、こうしてここにいる。
 遺跡の入り口から数百メートル離れた地点に仮設キャンプを措き、装備はそこで調えた。甲太郎も、九龍ほどではないが装備はそれに近い。腰にはIMIのミニウージーを提げている。だがそれを使う事はあまりない。大抵の墓守は蹴り一発で沈めるからだ。(甲太郎にはきっとモーゼルが似合うと、九龍は思っている。あの悪趣味とも言えるほど優美な形状と装飾は、長くて綺麗な指によく映えるだろう。)
 遺跡の入り口は、洞穴のようになっていた。この場所は写真で見た。ここから先に壁画があり、壁が人工的な加工に変わる。そこから先の情報は、無い。
「ジャが出るかヘビが出るか」
「両方蛇じゃねぇかよ」
 緊張感のない会話をしながら二人は奥へと進んでいく。確かに、誰かが通った形跡はある。古い物ではない。おそらくは帰ることのなかった先発隊のものだろう。
 岩肌に触れながら先に進み、やがてその手に触れる質感が変わった。
「へぇ…」
 天香の下に遺跡があったときもそれなりに驚いたが……この遺跡も相当な物だ。
 通路の先は、広間だった。だが、それほどの広さはない。特筆すべきは天井が低く、双方に別れる階段がどちらも下方を向いているということだ。
 壁に刻まれた文字や絵にはどこか見覚えがある。文字は中国語、けれど現在使用されているものではなく古代漢族の文字に見えた。
 部屋の隅に石碑を見つけた。誰かが埃を拭った跡がある。完全に盤面を拭き取ってから、H.A.N.Tに取り込み、今までの情報と照らし合わせて文字を読みとった。九龍のH.A.N.Tは中国語圏には強い。持ち主の性質に因るのだろう。対照させながら、九龍は石碑に刻まれた文字を読む。
「《盤古、混沌の流れに生まれる。頭は四岳に、両目は日月に、身体の油は海に。毛髪が草木に、涙が河に、息が風に。》だってさ」
「どういうことだよ」
「盤古ってのは、中国神話でいう天地開闢の神様のこと。天香の遺跡にも神産巣日っていたっしょ?あれみたいなもん」
「ああ、取手のとこにいた四つん這いか」
「そーそー」
 にしても厄介だな、と九龍は呟く。
「厄介?」
「中国神話がモチーフだとしたら結構面倒くさいよ、コレ。日本神話とかエジプト神話とかと違って、中国の神話って体系化されてないのが多いんだ」
 とりあえず石碑と、周辺の文字や絵などをH.A.N.Tに取り込んでから、九龍はぐるりと部屋を見渡した。
 と、甲太郎と同時に入り口の方を振り返る。何の異変もなくて、二人して顔を見合わせるのだが。
「何か……いた気がしたんだけど」
「二人して気のせい、ってか?」
「見てこようか」
 銃を抜き、壁伝いに入ってきた穴を覗き込むが……何もいない。気配すらない。
「気のせい、っぽい」
「だな」
 銃をホルスターに戻し、部屋に向き直る。異常はないのだが、違和感だけは変わらずにその辺りを漂い続けている。悪い予感がした。的中しなければいいのだが。簡単に戻るわけにも行かないことは分かっていたため、先に進むことを決めた。
 何も情報のない遺跡で二手に別れるような選択はせず、太陽と月のモチーフがある内、太陽の方を選んだ。
 階段を降りていくと、突き当たりには石製の扉。その手前には遺跡が鎮座し、《空には日輪が十と輝く。或る時 十の日が一度に空を駆け廻る。草木は焼け焦げ 枯れ果てた。弓持つ勇士は日輪の中に三足烏を見、射殺した》と、またも中国の神話に準えた言葉が刻まれていた。
「中国で太陽っていうと、三本足の烏か」
「だろうね。でも月に住むっていう話もあるし……どっちにしても行ってみないと分からんね」
 ゴーグルを目元まで落とし、扉を押した。思ったよりも負荷のない力で開いたその扉の先は、
「暑っちい……つーか、熱い」
 思わず顔を顰めてしまうほどの熱気が二人を襲った。しかも、後ろの扉は甲太郎が入ったのを合図としたかのように勝手に閉じてしまう。蒸し風呂よりも更に酷いこの状況は、五分もいれば身体が保たないことは簡単に分かる。
 H.A.N.Tが罠の作動を告げた。噎せ返るような熱さの中で、九龍はゴーグル越しに部屋の壁画を見る。思った通り、烏の絵が並ぶ。ほとんどが二足だが、一羽だけ、三足を見つけた。
「あれか…!」
 すぐさま駆け寄って、龍の形をしたスイッチを引き下ろした。すると、壁の絵が変化し、今度は甲太郎のすぐそばに書かれた烏だけが三足になる。
「こうたろ、そっち!その、三本足!!」
 甲太郎は言葉と行動をすぐさま理解した。言われた三足烏の下にあるスイッチを引き、周りを見る。スイッチを入れるごとに変化する絵、三本足の烏に近い方がスイッチを入れていく。
 これを九回繰り返し、甲太郎が最後のスイッチを降ろしたと同時に、部屋の中から暴力的だった熱気が引いていった。
「はひー」
 お疲れ、という意味で軽くハイタッチをし合い、改めて部屋を見渡す。
「…ッ、おい、九龍、……あれ」
 甲太郎が指差した先には、―――骨が、転がっていた。近寄ってよく見れば、まだ新しい骨。所々焦げ目の付いたそれは今にも崩れ落ちそうなほど干涸らびていた。
「……帰ってこなかった人、かな」
 手を合わせ、それから九龍はしゃがみ込んでその骨を調べた。罰当たりと思いながらも大腿骨であろう部分を折り、中を見ると、骨髄は完全に乾燥しきって黄色い膜が貼られているような状態になっていた。
「ここまで急激に乾燥したって様子だと、いつ死んだかとか俺じゃ分かんねーや」
「あっちの方には既に原型の分からんような焦げた塊があったぜ」
「もしかしたら、ここが王老大の私有地になる前に入った人かもね」
 悼む気持ちがないわけではない。しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。
 一羽だけ残った三足烏の下には扉が現れ、先に進めるようになっていた。九龍は扉を開け、先に続く階段を降りていく。
 先に広がっていた部屋は、もう片方の月の間との合流地点であるらしく、登る階段があった。暗闇と薄暗がりのちょうど中間にあるような明るさの部屋だ。
 階段と階段の間には石碑が建っていた。
《混沌を避けよ。静かに生きるのが良い。さもなくば天を支える柱が落ち、海は全てを呑み込む》
「……なんのこっちゃ」
「遺跡が静かにしていてくれれば俺たちは騒がないってんだ」
「天が落ち、海が、ってことは、また罠かな」
 もし罠が作動した場合の解除方法を神話から見つけ出そうとH.A.N.Tの情報を除いている間、甲太郎は部屋の中を見て回る。暗い中で怪しい色をした床や模様には触れないよう、極力慎重に歩いてみるが……異変は何もない。
 だが、部屋の端の扉には鍵がかかったまま。押してみても動く気配はない。
「やっぱり扉は…―――九龍ッ!!」
 振り返った甲太郎が叫んだ。いつの間に潜んでいたのか、今まさに、人型をした化人が九龍に襲いかかろうとしていた。
 真っ黒な、影。まるで九龍のようだとこんな時なのに思ってしまうほどの色。暗闇の中に紛れてしまう、絶対的な黒。
 すんでの所で九龍は気配に気付いたらしい。振り向き様に化人の腕を蹴り上げ、横に転がって攻撃を回避する。
 奇襲を受けた九龍は、回避しながらも攻勢に出るタイミングを計っていた。
 化人は全身黒尽くめ。他にも出たかと思ったのだが、どうやら一体だけらしい。しかもH.A.N.Tのナビゲーションが起動しなかった。敵襲だというのに。
 反動を付けて飛び起き、相手の攻撃を回避する。ゴーグルをノクトビジョンに切り替えていなかったため、薄闇の中で相手がどんな武器を使っているのか判断できなかった。しかし、顔の目の前に飛んできた手を見たとき、頬の皮を裂かれながら相手の得物を把握する。
(――――カランビット!?)
 それは、持ち手と刃が連結して反り返ったカランビットというナイフだった。刃渡りは手の平半分程しかないが、その分取り回しが易い。一種、暗器と言ってもいいそれを、両手に持っているのだ。まるで手の先が刃のように動く。
(随分と人間的な武器使いやがる…!)
 的確に振られるナイフの攻撃を、バックステップ、バック転、テンポ宙という流れでかわしきると、着地した足で踏み込み、攻勢に出る。相手が距離を詰める戦法を取る以上、銃よりは近接戦に徹底すべきだ。
 判断してすぐ、こちらもナイフを抜いた。片手には愛用のタクティカルナイフを、もう片方には協会支給のコンバットナイフを逆刃で持ち、構えた。
 カランビットの切っ先が喉元を狙ってくる。的確な一点狙い、それを右手のタクティカルナイフ、その背の刃受けで辛うじて受け止め、次の攻撃の前に今度はこちらがコンバットナイフを振る。だが、大きく反ったナイフの背で受け止められた。
 互いに攻撃しながら守り合うという拮抗した状況を、甲太郎が壊した。
 大きく振りかぶった脚が、相手のこめかみを狙う。だが、化人は瞬時にナイフを納めて姿勢を低く取り回避した。甲太郎の攻撃の隙をカバーするように九龍が放った肘打ちもあっさりガードされ、逆に振り上がってきた脚がこちらのガードを蹴り破る。
「ぐッ……!?」
 強い。凄まじい。九龍が今まで蹴り技で互角かそれ以上と認めた相手は、師である女、甲太郎、そして高校時代に出会った緋勇龍麻という青年だけだった。
 身体が揺らぎ、傾く。視界の向こうでは甲太郎も蹴り合いに持ち込んだが、どうやら劣勢のようである。しかも、素手の甲太郎に対して相手はナイフを振りかざす。
(本当に化人か、アレ…)
 受け身を取ってからすぐさま、一足飛びで相手との距離を詰める。その前にコンバットナイフを投げ、甲太郎との戦闘に間を入れた。当たるとは思っていないが、相手のバランスを僅かでも崩させることには成功し、そこを狙ってタクティカルナイフを突き立てる。
 振り下ろしたナイフをナイフで受け止められ、組み合う様な状態になったところで自分から上体を崩し、思い切り脚を振り上げた。
 ほぼ逆立ち状態で相手の頭部に見舞った蹴りは、直撃こそしなかったもの化人の目元を覆う黒い何かを吹き飛ばすことには成功した、が。
(人間!!)
 九龍が蹴り飛ばしたのはサングラスだった。その下には切れ長の双眸、襟で口元まで被っていたせいで顔が判別できなかったが、確かに人間に見える。
 驚いたことで、反応が一瞬だけ遅れた。伸びた腕に胸ぐらを掴まれ、受け身を取ろうとしたところを床に叩き付けられた。
「ッ…が…」
 喉の奥から呼吸が潰れる様な音が漏れる。目の前では、カランビットが閃いた。
 刺される。しかも、無防備な喉元を。
 そう感じた次の瞬間、なぜか予想は大きく外れ、身体が得体の知れない方向に落ちるような感覚に呑み込まれた。
「なッ―――!!」
 床が崩れた、というよりは抜け落ちた。九龍の上半身が乗っていた箇所は突然空間に変わり、支える物を失った身体はその空間に落下しそうになる。
 だが、九龍の上体がバランスを崩したことで、その上に乗り上げていた人間の方が対処しきれなくなったようだ。前のめりに、穴に落ちていく。
 自分を通り越して誰かが落ちるのを実感として持ったとき、九龍が取る行動は一つしかなかった。落ちる人間の腕だか首だかを掴み、落下を押しとどめた。だが自分も安定した体勢ではないため、押さえきれずに巻き込まれていく。
 ずるずると傾く身体を引くのは、当然、頼りにしていた甲太郎の腕だった。
「九龍、阿呆!何考えて、」
「ごめんごめん!!」
 分かっている、けれど、人間だと分かればこの腕を離すことなどできない。
 見れば、穴の底には水が溜まっているらしい。九龍の手元で砕けた床の一部がばらばらと落ちていくが、塊だったというのに水に落ちる音がしない。代わりに、ジュッという耳障りの悪い音がする。
 無味・無臭、けれど石が熔ける水溶液……?
「甲太郎、この下は酸かもしれないッ」
「何!?」
 首だけ向けて怒鳴った九龍は、掴んだ人間に向き直った。目が合う。それは、男だった。端整な顔立ち、怜悧でどこか甘やかで、一瞬見惚れて力が抜けそうになるほど。こんな状況だというのに焦りは見られなくて、落ち着いているようにすら見える。
「あ、んた!!さっさと上がれ!!俺も落ちる!」
 呼びかけても、反応は薄かった。一瞬、表情がきつく引き締まったかと思うと、蹴上がりに近い要領で反動をつけ、床まで一気に跳ね上がった。
 見事な着地の後、その男はまず甲太郎を蹴り飛ばす。辛うじて片腕だけでガードをしたが、威力は殺しきれない。九龍を掴んでいたもう片方の腕が離れてしまうほどの衝撃だった。
 押しとどめていた力が離れ、九龍の身体は穴へと落下しかけた。
 次の瞬間、男から食らったこれ以上ないほど見事な蹴りは、ただの蹴りではなかった。まるで、空気の流れを纏ったような―――どこか、緋勇龍麻に稽古をつけてもらったときのような、不思議な既視感。
 信じられないほど身体が浮き上がり、吹っ飛んだ。痛みよりも落下を止められたという事実の方が先に感覚としてやってくる。
 今度こそ、受け身を取る間もない。男が、甲太郎にカランビットを突き立てようとするのをどこか遠くの出来事のように感じながら、床に叩き付けられた。
「こう、た…ろ……ッ!!」
 今度こそ、落ちた。意識ではなく、身体が。自分がどこかに落ちるのと共に、男と組み合った甲太郎も床の上から消えるのが、九龍の意識の最後だった。