風云-fengyun-

http://3march.boy.jp/9/

***since 2005/03***

| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 番外 |

龍と修羅 - 番外 -

 ったく、あの馬鹿猿が。大人げもなく高校生に勝負を挑んでんだから世話ねぇな。
 京一が指導している俺たちの母校、真神学園が練習試合をするから絶対見に来いっていうから来てみれば、何のことはない、結局京一も試合をすることになってんだから。
 ま、京一がやり合いたいと思うのも無理ないような子がひとり、あっちの高校にいたのも不運っていえばそうだろうな。
 俺が剣道場に入ったとき、妙な《氣》に、気が付いた。この天香學園て学校自体、妙な氣が渦巻いてる気がしたが、その中でも特に。高校生と言うにはやけに鋭い氣を感じた。しかも、二つ。
 おいおい、なんつー物騒な学校だ?とも思ったが、俺らが高校生だった頃も、そういえば周りにこんなのゴロゴロしてたっけな、と思い直した。
 その、一人目の気の持ち主はすぐに見つかった。周りが休憩ムードの中、一人だけ面を被ったまま団扇で扇いでる小柄な子。あの子は、他とちょっと違うと瞬時に感じた。目が合うと、慌てたように軽く会釈してきて、それが持ってる《氣》とあまりに不釣り合いで、思わず可愛らしいなと笑ってしまった。
 チームの監督、なんて似合わない事をしてる京一の所に行くと、野郎、意外とマトモに『監督』してて、正直驚いた。自分が現役の主将やってた頃はサボり倒して部員に多大な迷惑を掛けてたってのに、この男は。
「おッ、ひーちゃん!!」
 ひーちゃん、じゃねぇだろうが。デカい声で呼ぶな、恥ずかしい。
「どうだ?練習試合って聞いてたけど、相手、強いのか?」
「部長は個人で都大会優勝してるらしいけどな、他はパッとしないらしいぜ?」
「そうかよ」
 なら、さっきの子が部長かな、とも思ったんだが、それは違うらしい。胴着と眼帯のよく似合う白髪の子が部長なんだと。言われてみれば、一人だけ異様に落ち着いてるし、確かに身のこなしに隙がない。
「京一、お前、強そうな子見つけても割り込んだりするなよ?」
「しねーよ!それに、俺がやり合いたいって思えるほど強い奴は、もうそうそう見つからねぇよ」
 確かに。一緒に中国を回ってた頃も、京一に敵う使い手はほとんどと言っていいほどいなかった。最初の頃はよく無謀に突っ込んでいったりもしてたこいつだったが、二年、三年と武者修行をする間に、まともに手合わせをできるのが俺だけという状況になってた。
 そういう意味では京一は枯渇していたし、もっと強くなりたいのに強い奴がいないっていう悲惨な状態でもあった。俺や雄矢、他の仲間じゃなく、馴れ合ったことのない誰かと思う存分戦いたいって、そんな思いをずっと、京一は抱えていた。
「だから今日は、こいつらが気持ちよく勝てるようにするだけだって」
「なら、いいけどな」
 京一率いる真神の剣道部は、今年は都大会でベスト8まで行ったらしい。比べて天香の成績はいまいちパッとしないようだ。そんな成績だけで比べるのもどうかと思うが、俺が見た限りでもそこまで強そうなのは、部長以外には見当たらないと思った。
 ……あとは、あの子か。面を被ったままだから顔は分からない上、『天香』と入った防具を着けていて名前すら知れない。大会でも名前が出てきてないということは、それほど強くないのかとも思ったが――――考えを改めさせられるのは、それからすぐだった。
 試合は、先鋒が二人、中堅が一人倒して、中堅対相手副将というカードとなった。相手の副将は例の面被りの子だったが、その一発目が凄かった。
 始まりの号令と共に間合いも計らずに飛び込んで、あっさりと一本を奪ってしまった。奇襲と言ってもいい一撃。それだけならまだしも、次に取った一本は教科書にでも載っていそうなほど見事に決まった返し技。映画の一幕のような鮮やかさで、早々に一人目を倒した。
 技、だけじゃない。雰囲気や身のこなしが、まるで素人ではなかった。竹刀を持つ手が多少ぎこちなく感じるものの、彼は、強い。
 瞬間、京一の目が輝いたのを、俺が見逃すはずがない。京一は残りの副将と大将の肩を抱き、やおら指示を出し始めた。その間俺がその子をじっと見ていると、またも目が合って、彼は大きくお辞儀をしてきた。
 こっちを見てるぞ、と京一の肩を付いて知らせると、野郎、まるで自分が相手をするかのようなことを呟きながら、彼に向かって笑って見せた。きっと、それは挑発だったんだろうな。受け取った彼は、自分の右胸を小手をはめた手で叩いてから、竹刀を京一の方に向けた。
 聞こえるはずもないんだが、俺にはどうしても「絶対負けない」と言っているように聞こえた。そしておそらく、京一も。
「ひーちゃん、見たか?今の!」
「ああ」
「あれは喧嘩を売られたと取って間違いないよな。よっしゃあ、買うぜ!」
「買うな、阿呆」
 相手は高校生だろ、考えろ。……なんてのも、馬鹿猿には通じるわけもなく。
 彼が副将戦で一本取った辺りで、大将と共にどこかへ消えた。まさか、とは思ったが。
 副将戦が終わり、面被りの彼が疲労でぐったりしている中、帰ってきた大将はなぜか京一に変わっていた。
「てめ、オイ、京一!」
 しかもそのまま試合場に出て行こうとする京一を慌てて止めると、
「しーーーッ、バレなきゃ大丈夫だって!な?久しぶりに見っけた骨の有りそうな奴なんだ。頼む、ひーちゃん、見逃して!」
「…………」
 普通なら、止めなければいけないのだろう。高校生同士の試合に監督が飛び入りするなんて聞いたこともない。
 けれど、俺は京一の飢餓感を痛いほど知っていた。強くなりたくて仕方なくて、その糧を探し求め続けた京一を、ずっと傍で見てきた。何度、自分が剣士だったらと思ったこともあった。無手では互角でも、俺はそれを剣道に用いることはできない。
 だから、肩を掴んでいた手を放してしまった。……俺もいい加減あいつに甘い。
 試合は、当初、一方的だった。京一が押し、最初の一本を取ったのも京一だった。
 結局、こうなるのかと思って嘆息し、普通に考えれば一般高校生が京一の相手になるはずもなかったなと、流れの傾いた試合を見ていた、のだが。
 その一本が、面被りの彼のスイッチを入れてしまったと、すぐに分かった。
 競り合いの中で、間一髪、相手の一撃をかわした京一が逆に小手を繰り出したとき、彼の脚が綺麗に上がり、京一の手を蹴り飛ばしていた。手でバランスも取れず、足下も間合いの取り合いで上手く軸足がはまっていないにもかかわらず、京一が、瞬間ふらつくほどの鋭さで。
 思わず、俺は拳を握り締めていた。剣道の試合で蹴り技なんて普通は考えない。少なくとも、剣道というスポーツを、体育会系の道徳に乗っ取って鍛錬している人間は、思いつかない。だが彼は、京一に負けたくない、その一心だろう、掟破りをやってのけた。
「止めんなよッ!」
 京一が叫んだ。それは、審判に向けての怒気の籠もった懇願。
「絶対、止めるなよ。こんくらいでな」
 ここまでして『勝ち』を奪いに来る。それが、京一の求める強さ。そして、久方ぶりに見つけた、相手。
 試合時間を超過しても誰も止めない、そんな空気の中、竹刀の爆ぜ合う様な音だけが武道場に響いていた。彼は、日本ではあまり見慣れないような足技を繰り出していた。何度目かの接近、そして彼が離脱したとき、何かを後ろに控えている部長の子に叫んだ。
 後ろ手に受け取り、再度京一に向き合ったとき、手に持っていたのは小太刀。
 二刀にしただけで京一に勝てる、などという考えは甚だ甘いが、彼にそんな気は毛頭ないようだった。元から、二刀を使い慣れていると言った方が正しいかも知れない。片手の小太刀で牽制、威嚇をし、長太刀で攻撃を仕掛ける。
 それからすぐに、京一から一本を奪い取った。
 普通の試合なら、当然彼の反則負けは決まっている。けれど、そんなものを完全に無視して、勝ちにしがみついて、殺意に近い裂帛の気合を見せる彼を相手にして、京一が心の底から勝負を楽しんでいるのは明白だった。
 二刀流に格闘技と完全武装な彼と、竹刀一本の京一と。これで互角か、と思いながら次の打ち合いを見ていたのだが、どうやら彼は、どこかを完全に解放してしまったらしい。京一の連打をことごとくかわし、隙を見つければ逆に懐に一足で飛び込んでくる。
 強い。見ているだけの俺でさえ、そう思わざるを得なかった。彼なら、京一の餓えを、満たしてくれるかもしれない。
 だが、異変は、すぐに起きた。
 面被りの彼が京一に回し蹴りを見舞い、それを避けようと腕を振り上げた喉元に突きを差し入れようとした彼の身体が、膝から崩れ落ちた。咄嗟に竹刀を放り投げた京一が彼の身体を受け止めたが、ぐったりとしたまま倒れ込んで、動かない。
 俺もすぐに駆け寄って彼の小手を取り、面を外した。
 真っ黒な彼の髪は汗で額に貼り付き、呼吸は荒く、顔は真っ赤だった。
「お、おい!?大丈夫か?」
 こっちも面を外した京一が泡を食ったように呼びかけるが、反応は全くなかった。
 おそらくは脱水症状を起こし掛けている。うちの部員からタオルを借りて彼の顔や首筋を拭こうとした、その時だった。
「そいつに触るな」
 酷く硬質な、けれど怒気の籠もった声が、場違いな花の香りと共に上から降ってきた。俺や京一が、振り仰ぐまでもなかった。声の主は、すぐに倒れている彼の傍にしゃがみ込み、京一から彼を引ったくるとように抱き寄せると、何度か『九龍』と呼びかけていた。
 ぐったりとしていた『九龍』君だったが、その声にだけは僅かな反応を見せ、弱々しい力で花の香りを漂わせる彼の学ランを掴んだ。
 花―――ラベンダーの彼は『皆守』君というらしいということが、部長の真里野君と話をしているのを聞いて知った。どうやら、学校の保健室は使えないため、体育館にある怪我人や急病人などを運ぶ処置室に『九龍』君を運ぶらしい。養護教諭の先生も呼ぶそうだ。
 当事者でありながら部外者な俺と京一は結局何もできず、『九龍』君は『皆守』君に抱えられて運ばれていった。
 武道場から出て行こうとした『皆守』君は、俺たちの前を通り過ぎる間際、冷ややかな、それでいて憎悪で滾るような視線を向けてきた。
 友人が傷付けられた、などという生温いものではなかった。
 言うならば―――在りし日の、柳生を見る京一の眼とでも言おうか。
 どうしてそんなにまでの視線を俺たちに向けてきたのか、理由は、すぐに分かる事になる。

*  *  *

 結局、京一の試合は無効という事になり、真神剣道部本来の大将と、天香學園の大将が試合をし、うちの大将は呆気なく負けた。完全な勝ち抜き戦だったら、おそらく部長一人に負けていたであろう強さだった。しかし、案の定、京一は部長の真里野君にはほとんど興味を見せず、始終そわそわし通しだった。
 本当にこの馬鹿猿は、監督なんて向いていない。美里、人選を間違えたぞ。
 結果が出て、挨拶も済ませた京一は、真里野君に処置室の場所を聞いていた。確かに、一番に詫びを入れなければならないのは倒れた彼だ。
 真里野君はどうやら『神速の剣士』とかなんとか言われていた頃の京一を知っていたらしく、あんな無礼をしたにも関わらず過去の威光のお陰か何だか、すんなり場所を教えてくれた。
 俺たちは一度外へ出て、そこから体育館へと向かった。
 校庭では他の部活が、休日だというのに練習に励んでいて、京一はその様子を懐かしいとでも言いたげな眼差しで見ていた。
 俺はといえば……迷っていた。おそらく、真里野君は丁寧に説明してくれたのだろう。だが、京一がそれを俺に伝える過程でわけが分からなくなった。
「外出て、がーって行って、体育館の三つ目」
 何のことだ?と思ったが、そう何度も真里野君に聞き返すわけにもいかず、校庭に出たものの……そう言えば中国でもこの馬鹿猿のせいで何度も野宿することなったな、と思い出す羽目になった。
「ったく、無駄に広いなこの学校は」
「全寮制らしいしなー。お、あれって弓道場?」
「体育館はあっちだろうが。弓道場覗いてどうする。行くぞ」
 きょろきょろと落ち着かない京一を引っ張り、中庭に出ると、そこで一人の女性とすれ違った。白衣を着た、背の高い女性だ。彼女は立ち止まり俺と京一を交互に見ると、ふっと、口元に笑みを浮かべて去っていった。どこかで会ったような気がする人だったが……そんなことを言っている場合でもない。
 すぐに体育館にたどり着いたが、中を覗いても部活動をやっている生徒ばかりで、目当ての人物は見当たらない。
 一度体育館から出て、ぐるりと周回してみた時だった。
 体育館に隣接した部屋の窓が開け放たれていた。カーテンが掛かっているようだったが、風が強く、それを吹き上げた。
 俺が見たのは、ほんの一瞬の出来事。
 窓際に設置されたベッド。目を閉じ、横たわる少年の額に、脇にいたもう一人が手を伸ばす。愛おしげに髪を掻き上げるような仕草の後、少年に顔を寄せる。
 それは、口付けの光景。
 すぐにカーテンが覆い隠した、秘め事のようなそれをしていたのは、間違いなくラベンダーの彼と、京一と対峙した彼だった。
 運んでいった彼が、俺たちに向けたあの視線の意味に、その時、合点した。
 友人、どうこうではない。大切なものだったのだ。その、大切な人間を京一に傷付けられたと思ったのだ。それが、あの視線の意味だったのだ。
「ひーちゃん?どーしたんだよ。早く探そうぜ?」
「ん?あ、あぁ……あっちから、回って行こう」
「??何だ、場所分かったのか」
「大体な」
 体育館の中から、回り込んで入ろうと決めた。おそらく、邪険な目で彼に睨まれるんだろうと予想をしながら。

*  *  *

 葉佩君は、思った以上に素敵な子だった。いっそ連れて帰りたいと思ったのは、どうやら俺だけではないらしい。
 あの、殺気を放ちながら京一を倒そうとしていた人間と同一人物とは到底思えない。京一のせいで(ここ四倍角)倒れたというのに責めもせず、楽しかったと笑ってくれる彼に、馬鹿猿は本気で感動していたようだ。
 逆に皆守君には嫌われてしまったようで、彼は俺たちがいる間中ずっとピリピリしていた。ラベンダーのアロマを始終吸っているという彼は、村雨あたりとはまた別の、高校生らしくないところがあるようだ。(まぁ、からかうと楽しいという点では忍者にも匹敵すると密かに思ったりもしてみたが。)
 ただ、口調や視線で俺たちを敵対視することで葉佩君を守ろうとする意図が度々感じられて、ああ可愛いななどと思ったりもした。特に京一に対しては容赦が無く、怒りの全てをぶつけているという様子が見える。
 高校時代、色んな感情を向けられる経験をしたが、このタイプはなかなか珍しい。
 だが、彼らと同じ年頃の時期にかなり特殊な経験をしたせいだろう、二人の考えている事や関係、嘘、事実、もっと生々しく言えば本性のようなものまで見えてしまう俺自身が悲しかったりもする。
 二人は、よく似ていた。表面的なものではなく、もっと奥の、心の底が、そっくりだった。ただ、葉佩君の方が装うことに長けているというだけの違いにも見える。皆守君の方は自分の柔らかい部分を押し隠すために表面上は凪いだ海のように感情を押し隠したりもするのだろうが、葉佩君は、その上に更に、穏やかな日差しのような笑顔を貼り付けている。互いがどこまで気付いているのかまでは分かりかねるが、それでも言葉の端々や時折交わす視線の遣り取りで、大切に思い合っているのは分かる。
 願わくば、彼らが傷付け合うということがないことを祈るばかりだが……。
 そうこうしているうちにかなりの時間が経っていて、そろそろ置いてきた部員や皆守君のボルテージが昇っていそうだったために撤収することにした。
 最後の『京一と遊んでやってくれないか』という無粋な頼みも、葉佩君は考える様子もなく快諾してくれたことだし、いや、本当に良い子だ。……こら、京一、持ち帰りは禁止だ。
 そんな俺たちの行動が不審だったのか、帰り際に皆守君は外まで追い出しに来てくれた。
 体育館の出口に来たとき、ずっと黙っていた皆守君が、俺たちに言った。
「九龍はああ言ったけどな、お前ら、二度と来るなよ」
 冗談で言っている眼ではなかった。本当に、この子は眼で物を語る。
「何でだよ、別にいいじゃねぇか。あいつがいいって言ってんだから」
「よくない」
「……それは、君が?それとも葉佩君が?」
 京一と皆守君の睨み合いに割って入ると、京一を見上げていた皆守君の視線が降りてくる。
「両方だ。金輪際、あいつに近付くな」
「君がそこまで葉佩君に過干渉になるのには、何か理由でもあるのか?」
「過干渉、だと?」
「明らかにね。葉佩君の意見すら無視して、君は、葉佩君の何で在りたいんだ?」
 挑み掛けるように見据えてみると、皆守君は口元に僅か、悔しさを滲ませて黙り込んだ。おそらく俺の言葉が、何かに引っ掛かってしまったのだろう。
 トレードマークらしきアロマを少しの間燻らせて、息を吐くのと同時に、言葉を吐き出した。
「…………あいつは、自分に対して、欠片でも好意を向けた人間を、絶対に拒まない。それが例え、どれだけあいつを苦しめる事になっても、だ」
 まぁ……確かに、葉佩君からはそういう印象も受ける、が。
「だから、葉佩がヘバる前に予防線張るのがお前ってわけか」
 フン、と京一が、らしくもなく鼻で笑った。
 直後、視線を険しくした皆守君の胸ぐらを掴んで、近くの壁に叩き付けた。
 馬鹿猿のやることは、本当に俺の範疇を軽く越える。止める暇すらなかった。
「守りたい、ってな、決めた奴がいるなら、腹括れ。何があっても守りきるって覚悟を決めやがれ」
「ッ……」
「言葉なんてな、力の前には無意味なんだよ。今日、もし俺が竹刀じゃなくて真剣使ってたら、あのチビは何度死んでたか、考えてみろ。その時にお前は、俺を責めるだけで済むか?」
 二人の身体を引き剥がそうと、間に入った俺は、けれど京一の言葉に射すくめられたかのように身体が動かなくなってしまった。
 ……京一が、誰のことを言ってるか、全部、分かったからだ。
「自分の目の前で世界で一番大事だって思った人間が傷付けられるなんてことだけは、絶対すんじゃねぇ」
「だから…、こうしてお前らに来るなって言ってんだろうが」
「それでも俺は来るぜ。俺の大事なものを守るだけの強さを手に入れるのに、あいつと戦うことが必要なんだよ」
 暴論だ。身勝手だ。そんなことは、分かってる。分かりすぎるほどに。
 だが、悲しいかな人間というのは、そこまで想われてしまうとその身勝手な暴論すら、愛おしくなってしまうものだ。俺は自分の愚かさを理解している。そして、理解など遥に飛んでしまう程度には、京一の想いに、なにより自分の想いに狂ってしまっている。
 ……阿呆だっていう自覚くらいある、いくらでも。
「京一、その辺にしておけ。帰るんだろ?」
 自分で考えていたより幾分脆かった理性を引き戻して、俺は京一の手を取った。
「だってよ、ひーちゃん、こいつが…」
「うるさい。人前でひーちゃん言うな。さっさと行くぞ」
 皆守君の視線が、驚いたような様子で俺と京一の間を行ったり来たりしてるのが、なんとなく気恥ずかしい。……おそらくは、京一が何のことを言ってるのかは分からずとも、誰のことを言っているのかくらいは分かったのだろう。
「それじゃ、皆守君。葉佩君によろしく言っておいてくれ」
「……………」
「また、来ると思うから」
 彼は、何も言わなかった。俺と京一を見たまま、何か言いたげな眼のまま。
 俺たちは背を向け、体育館から出ようとした。
「おい」
 それを、皆守君の声が呼び止める。振り向いたのは、俺も京一も同時だった。
「………それは、あんたのこと、……なのか?」
 あの日のことを、俺は未だに鮮明に記憶している。向けられた刃の先端が振り下ろされる瞬間も、身体から体温が失われていく感覚も、その中で京一が、泣きそうに震えながら俺を呼んでいた声も。
 全部。覚えている。忘れられない日の、出来事だ。
 だから、俺は何も答えなかった。ただ、訝しげな、それでいてどこか悲しそうな皆守君を見て少しだけ、微笑んだ。
 それで、充分だったようだ。
 皆守君は小さく息を吐き出すと、葉佩君の待つ部屋へと戻っていった。
 背中を見送って、さて、俺たちも帰ろうと京一を振り返ると。そこには、馬鹿猿が珍しく神妙な顔で俺を見下ろしていた。何か言いたげだったが何も言い出さないから無視したが。
 そうしてなんとなく二人で体育館を出て、武道場へ戻ろうとした途中、
「龍麻」
 突然、呼ばれた。
 思わず足を止めて、半歩後ろを歩いていた京一を、振り仰いでしまう。
「……俺は、何を犠牲にしてでも強くなるからな」
「……………」
「お前の事、護れるなら、何だってする」
 ああ、もう、この野郎。
 どうしてこうもこの男はここ一番でタイミングというものを外さないのだろうか。いつもは外しっぱなしのくせに、一等大事なタイミングだけは絶対に間違わない。
 その証拠に、こいつの突飛な行動には慣れているはずの俺でさえ、思考が止まった。
「あの時みたいな事は、絶対に、させない。誰にも」
「…そうかよ」
 俺が、京一の目の前で柳生に斬られた、あの時のこと。
 生まれて初めて死をすぐ隣に感じ、そして、京一の存在を感じた日。
 あれから、京一は強くなり続けている。滅多に口には出さないが、それは、俺を守るためなのだという。もう二度と、誰にも、俺を傷付けさせないためなのだという。
 あの日に負った傷痕は、おそらく生涯消える事はないだろう。けれどその傷は、こうして今も京一を縛り続けている。誰のせいでもない、ただ、俺の弱さが悪かったというだけなのに。京一は、この傷を、自分が俺を護れなかった証だという。時折傷に触れるたび、悲しげな眼をする。
 ……昔の仲間は、京一が俺に引っ付きすぎだという。だが、事実は逆だ。俺が、京一を繋ぎ止めたまま放そうとしないのだ。誰も、それに気付かないだけで。
 猿は馬鹿だから、全部自分のせいにして、あんなに可愛い少年まで自分の糧にし、強くなろうとしている。彼を守ろうとする者にすら牙を剥く。そうさせているのは、他ならぬ、俺なのだ。
 俺は、あの日受けた傷で、京一をどこへも行けないように縛り付けた。分かっている。でも、狡いというのは承知で、京一を放さない。許す、という言葉を使わない。
「……馬鹿猿」
「へ?」
 格好付けたところで馬鹿呼ばわりされた京一の目が点になる。そうそう、そんな間抜け面の方が似合うぜ?
「いつも、そう呼んでればいいんだよ」
 それだけ言って、京一を睨み上げる。すると、眉尻を下げて、抗議が返ってきた。
「えー、いいじゃねぇかよ。『ひーちゃん』て、可愛いのに」
「うるさい」
 これ以上赤くなりそうな顔を見られたくなくて、俺は京一に背を向けた。先に歩き始めると、それでもまだ後ろから、
「ひーちゃぁん、ひーちゃんひーちゃん」
「………秘拳・黄龍ッ!!」
 京一を通路に沈めてから、自分の拳を見た。
 ……自分のことくらい、自分で護れる程度の強さは持ち合わせているのだ。
 でも、それは、口には出さない。
 京一が離れていかないために。
 
 葉佩君にもこの狡さを分けてやれたら、と。
 その時、なんとなく、そんな事を思った。

End...