風云-fengyun-

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龍と修羅 - 4 -

 何だか酷くフワフワした感覚の中で、ぼんやりと、目を開けてみた。でも、目を開けて色んな情報が視覚を通して入ってきたときに、一斉に押し寄せた身体の変調がすぐに視界を閉ざす。
 頭が、重い。熱の塊が脳内に、っていうよりは頭の中身が茹だってる感じで……正直しんどい。
 身体に籠もったような熱を細く息として吐き出すと、すぐ隣から声がした。
「九龍、おい」
 頬に軽く触れてくる手。すごく冷たい。こんなに周りが暑いのに、どうして冷たい手でいられるのか不思議なくらい。甲太郎の手。
 もう一度目を開けて、声の方を向くと甲太郎が一人、目の中に色んな色を混ぜて俺のこと見下ろしてた。顕著に心配、って顔。
「大丈夫か?」
「……あったま痛い」
「だろうな。あ、無理して起きんなよ」
 上体を起こそうとした俺を制して、額に手を当ててきた。やっぱり手が、冷たい。
「こーたろぉ、手、冷たいね」
「そりゃ、お前が熱出してるせいだ」
「熱?」
 言われてみると今の状態は、風邪をひいたときとかによく似てるかもしんない。
「お前、試合中にぶっ倒れたんだよ。覚えてないのか?」
「試合……あッ」
 霞がかってた頭の中が、一気にフル稼働し始める。
 そうだ……試合。剣道の試合。相手の監督さんがいつの間にか大将と入れ替わってて、神速の剣士で、強くって、途中から何でもありみたいになって、一本取られて、取り返して、それで……。
 記憶は途中で跡切れてる。そこで、倒れたんだろうか俺は?記憶の終わりは、ゆっくりと白く掠れていく視界の向こうで、離れていく神速の剣士さん。
 てことは、もしかして、もしかしなくても。
「……負けた、んだっけ?」
「いや」
 何やら後ろを向いてた甲太郎が、振り返って紙コップを俺の脇に置いた。それとは別に小さい氷を一つ摘んでて、「口開けろ」っていうから開けたら、それを放り込まれた。思わず顔を顰めてしまうくらいの冷たさが、でも頭痛をほんの少し、和らげてくれる。
「あんがと。ひー、冷た」
「没収試合、でもないのか?ま、そんなとこだ」
「へ?」
「さっきのだよ。相手も選手じゃなかったんだろ?それで試合自体が取り消しだと。で、真里野と相手の正式な大将がやったんだとよ。さっき真里野が顔出してそんなようなこと言ってった」
「あー、ね」
 勝敗着かず、か…。でも、あの状況じゃ、続けてても勝ったとは思えないなー。後半なんか、異種格闘技戦状態だもんよ。それで万が一勝ってても、勝った気はしないだろうし……今になって思い返して、俺、自分でもあそこまでよくやれたなって思うくらい。それくらい、あの人強かったから。
 考えたところで口の中の氷が溶けきったて上半身を起こすと、脇とか首の辺りからビニール袋に詰められた氷水が落ちた。しかも、それと一緒に、
「ありゃ」
 たぶん、前袷が緩められてたんだろうけど、胴着が一気に肩から抜けるように落ちた。
 何で?って顔で甲太郎を見上げたら、何でって言われても、って目で見返された。
「あれ、もしかしてテーソーの危機だった?俺」
「阿呆ッ!」
 氷嚢を顔面にぶつけられて、黙らされた。いやん、焦るところが怪しいぜよ、甲太郎。
「熱中症だったんだよお前は!だからこうして氷水作って冷やしてやってたんだろうが。それ、前緩めたのだってそういう理由だ。ったく、ぶっ続けで面なんか被ってるからだ」
 阿呆阿呆と罵られながら、でも、俺は全然別のことを考えてた。
 だ、だって、熱中症って、そんな、ね?
「熱中症?俺が?うそぉ」
「嘘吐いてどうする」
「だ、だって俺、熱中症ならねーもん。耐性あるもん」
「はぁ?熱中症に耐性が有る無いなんて聞いたこともないぞ?」
 ……でもあるんだよぉ。訓練、したもんよ。
「よく分からんが、診断の文句ならカウンセラーに言うんだな。あいつがそう言って処置の説明までしてったんだ。水分補給しなかったのがまずかったとかどうとか言ってたな」
「ルイ先生が?じゃ、そうなんだ」
「……おい」
 ヤ、でも、本当にならないはずなんだぜ?これくらいのことで倒れるなんて。むー。俺が貧弱になったんかね?
「で、そのルイ先生は?」
「テニス部で怪我人だと」
 甲太郎はそれだけ言うと、コップを顎で指して飲めってジェスチャーしてから、俺の額に手を当ててきた。やっぱり、冷たいと思う。それって氷水とか作ってたから、かな。
「それ飲んで水分補給して、熱が下がれば大丈夫だろうってよ」
「ん。了解」
 言われた通りにコップの中のスポーツドリンクみたいなやつ飲み干して、それからぐるっと、今居る部屋を見渡した。
 俺の居る場所は、でかい窓に面してて風が大量に吹き込んでくる。揺れるカーテンの向こうには、グラウンドが。
 どうも保健室じゃないっぽい。でも、寝てるのは確実にベッドで、近くにはシンクとか薬品棚とか置いてある。規模の小さい保健室、っぽいけど…。
「な、ここ、どこ?」
「体育館の横」
「そういうことじゃなくって…」
「休日は原則、校舎が開かないから保健室が使えないだろ。だから、部活やってる奴らが怪我したときはここで手当を受けるんだと」
 俺も入ったのは初めてだけどな、と付け加えて、甲太郎も部屋を見回した。
「この向こうが教官室で、逆隣が更衣室か器具室か」
「へぇ」
 休みの日に校舎が使えない分、こんな場所まであるんだなーと、ちょっと感動。つってもベッドは一つしかないし、薬品棚にも湿布とかそういうのしか入ってないっぽいけど。
「後で真里野が着替えだの荷物だの一式持ってくるとよ」
「そういや剣介、勝ったの?」
「何にも言わなかったから勝ったんじゃねぇのか?観てないから知らないが、負けたらそれこそ大事なんじゃないのか、あの手の野郎は」
 確かに。剣介なら、負けたら腹切りなぁんて言い出しそうだし。……実際言い出したしなぁ。
「じゃあ少しは、俺も役に立ったかなー、なーんて」
「役に立ったかな、じゃないぞ。お前、助っ人なんて引き受けたら他の部も黙ってないだろうからな」
 甲太郎は、そんなことを言いながらも、手際よく身の回りのことをやってくれてる。新しいタオル投げてくれたり氷嚢投げてくれたり冷えピタ投げてくれたり……なんか手渡してくれてもよくない?いくら汗くさいからってさー。
 軽くブーたれながら流石に投げつけられなかった紙コップに口を付けて、上目で甲太郎を盗み見る。
 いつもと同じ、少し不機嫌そうに、皮肉げに眉根を寄せて、体温計を睨んでる横顔。見てるうちに、そういえば二人っきりなんだってことに今更ながら気が付いて、落ち着き始めていた身体がまた、熱を孕んできたことに焦った。
 しかも視線に気付いた甲太郎が振り返るもんだから、バッチリ目が合っちゃって、もう。
「……何だよ」
「な、なんでもないデス」
「顔、真っ赤だぞ?まだ調子、キツいのか?」
「いえいえいえいえいえ!滅相もございません」
 さっきの不機嫌そうな顔に、ほんの少しだけ心配の色を混ぜて俺の顔、覗き込んでくる。
 夕薙とかに比べると、かなり細い造形の顔立ちは、それでも俺みたいにガキっぽくも、妙に女々しくもなくて、だから少しの羨望と、俺に向けられる視線の甘さに頭がクラクラしてくる。そのせいで、俺が許容できる接近距離をオーバーしてても、咄嗟に反応できなかった。
 気付いたときには、すぐそこに甲太郎。近い、近いって!息が詰まる!
 慌てて衝立のように出した腕も捕まって、前髪も柔らかく掻き上げられちゃったりなんかして、あわわわわ…って感じ。
「待った待った、ちょ、俺汗くさい、ッ…」
「動くな阿呆。」
 あっさり一蹴されて、うわぁどうしようって、目を閉じたところに、接近衝突。
 ……でも、予想してた、その、ちゅーとか、そういうことじゃなくて、ぶつかったのは、デコ。こつ、って音がして、そっと目を開けると、逆に甲太郎の方が目を伏せてた。えっと、触れてるのは、デコ同士?
「やっぱり、熱は引かない、か」
「……へ?」
 超至近距離でばっちり目が合っちゃって、今度こそ慌てて離れた俺を怪訝そうに見下ろして、甲太郎は俺の手の中にあった冷えピタを手際よく額に貼り付けてくれた。
 け、検温ですか…。
「仕方ないだろ?氷いじってて手が冷たいから、触ってもよく分からないんだよ」
 心の声でも聞こえたかのようにアンサーが降ってくるけど。心臓に悪いっての!
「それとも、別のことでも期待したか?」
 しかも、すぐに意地悪げーな微笑みを見せる。
「~~~~ッ!!してねーよ!何も!!」
 図星指されて誤魔化すように怒鳴ると、甲太郎は喉の奥で愉しげに笑った。くそ、余計熱が上がった…。せめてもの反撃に氷嚢を投げつけようと振り上げた、けど。
 処置室の扉を、誰かが叩いた。
 それは甲太郎にも聞こえたみたいで、二人して一瞬休戦、沈黙後、扉へ刮目。
 でも、いつまで経っても開く気配がなくて、空耳だった?って甲太郎を見上げると、甲太郎も首を傾げて扉を見てる。
 …誰か、居る気配はするんだけど。もしかして剣介が荷物持ってきてくれたけど開けられないとか?あ、でもだったらノックもできないか。んー。
「あのー、どうぞー?」
 いつまで経っても開かない扉に声を掛けると、ほんの僅かに、扉が開いた。その間から気配と声が、ダダ漏れ。
「ほら行くぞ馬鹿猿!」
「わ、分かってるって!引っ張んなよひーちゃん!」
 ちらっと覗いた赤い髪と、黒い髪。もしかして、あれって…。
 俺が何を言うわけでもなく、真っ先に動いたのは甲太郎で、何やら押し問答が行われてるっぽい扉を、一気に全開にした。
 そこにいたのは、やっぱりあの神速の剣士さんと、お知り合いっぽい、綺麗なオニイサン。二人並んでるのはやっぱり壮観だけど、……オニイサンが神速の剣士さんの耳を思いっきり引っ張ってる辺り、何だかイメージが…。
 そんな二人に、甲太郎は冷ややかに言ってのけた。
「何の用だ」
 冷たいだけじゃなくて硬い声。なんか、怒ってる?
「ちょっと、そっちの子に。こいつがな」
 答えたのは、黒髪のオニイサンの方。俺の方を見て、目が合うと苦笑して、軽く頭を下げてきた。こちらこそ、ってんで俺も会釈したけど……頭振るたびにこめかみがぐわんぐわんいってら…。
「おら、京一!」
 オニイサンは綺麗な顔に似合わない乱暴さで、京一と呼ばれた剣士さんの腰を蹴飛ばした。
 転がり込むように入ってきた剣士さんは、甲太郎の脇をスルーすると、ベッドの方に歩いて来る。それから俺が、こめかみを押さえながら会釈するのを見て、突然。
「すまねぇッ!」
 ガバッと頭を下げられて、ビックリ。
 俺が呆気にとられてるのを見て、黒髪のオニイサンは剣士さんの下げられたままの頭をぐりぐりと押し込むと、一緒になって、「申し訳なかった」って。
 ぶっちゃけ何が何だか、って感じでおろおろと二人を交互に見るしかない。だって、なんで頭下げられてるのかが分かんないんだもんよ。
 したら、俺の代わりに甲太郎が。頭を下げてた剣士さんの襟元掴んで無理矢理起こすと、今度は胸ぐら掴んでさぁ大変。
「言いたいことはそれだけか?」
「……………」
 無言の睨み合い。うわぁ怖い、とか言ってる場合じゃなくて!
「こ、甲太郎!」
「交流試合に監督だかコーチだかが出てきて、高校生相手に何考えてんだ、あんた」
「待った、ストップ!いーんだってば、それは!」
 容赦なく胸ぐらを締め上げる甲太郎の腕を押さえようと、身を乗り出した途端、ガタガタの身体が崩れて、ベッドから落ちそうになる。ふわっと、落ちそうな感覚はあったんだけど、支えてくれたのは黒髪のオニイサンだった。
「大丈夫か?」
「うー…大丈夫、デス」
 頭痛は全然大丈夫じゃなかったりするんだけど、オニイサンの心配そうな顔を見たらそんなこと言えるはずもなく。無理して笑ってベッドに戻ると、剣士さんの胸ぐらを掴んだままの甲太郎の服の裾を引っ張った。
「止めろって、もう、それはいいんだから」
「…九龍」
 渋々って感じでそれでも手を放した甲太郎は、ベッドの脇にあったパイプ椅子に、乱暴に腰掛けた。
 その代わり、
「いや、全然よくない。もっと文句言ってやってくれ」
 オニイサンが剣士さんの頭を深く深く押し込めて、手の甲や腕に血管を浮かび上がらせながら、とっても綺麗に微笑った。