風云-fengyun-

http://3march.boy.jp/9/

***since 2005/03***

| 1 |

ガンスミス&キャット - 1 -

 アレキサンドリア本部のカウンターで、担当官の曖昧な微笑みを見たとき、俺は、ああ、ダメだったんだなって悟った。
「ごめんなさい、クロウ……いろいろ、当たってはみたんだけれど」
「……そっか」
 彼女は、心底、すまなそうに黒いカーボンケースをカウンターに置いた。この中には、一挺の銃が入っている、はず。元々ケースに銃を納めて、彼女に渡したのは俺だ。そうして、謝罪の言葉とともに返ってきた。
 ――それだけで、すべて分かってしまった。
 俺の担当官は、とても、とても優秀な人だ。そんなこと、俺が評価することではないんだけど、とにかく、人の意図を読みとることが格別に上手だし、その上で最善を提案してくれる。だから全面的に(正しい意味で)信頼しているし、そんな彼女が「ごめんなさい」というからには、……ごめんなさい、なんだろう。
 そっか。ごめんなさい、か。
 俺は、ケースを開けることをしなかった。彼女がごめんなさいというからには、ごめんなさい、だ。この、両手のひらにすっぽり収まるケースの中にいる『彼女』の姿がどうなのか、推して知るべし。
 ずん、と、身体の芯から、重苦しい絶望みたいな固まりがこみ上げてきて、それから――…、

*  *  *

 あの日、戦闘は全くいつも通りだった。部屋に入り、化人が出現し、甲太郎に背中を預け、銃撃戦に格闘戦。遺跡の中には音楽のような風が鳴り響き、精神をそこに預けるように踊った。全く、いつも通りだった。
 違ったのは、俺がいつもよりほんの少しだけ無茶をして、かわせるはずだった攻撃を「まあ、いいか」という気持ちで受けようとして、それを甲太郎が嫌がって、身体を引っ張って、バランスを崩して、とっさに伸ばしていた腕を引いて、―――攻撃が、直撃した。
 あ。
 と思ったときには、鈍器状の武器が俺の、大切な、恋人を砕き割っていた。
 頭の中は真っ白になった。もしもこれが、俺の人間の恋人、つまり甲太郎の頭でも砕き割られていたことだとしたら、頭の中は真っ黒に塗り込められたはず。
 かろうじて、正気だけは保っていたからすぐに化人を叩き殺して、そうして、腕の中の大切な恋人が朽ち果ててしまったのを確かめた。
 仕事道具が壊れるなんて事は、ままよくあることであり。物には耐年劣化ってのが付き物だってくらいは俺だってよく分かってる。(H.A.N.Tは例外。未知のオーパーツをぶっ込んでるらしいから、どんな扱いをしても壊れないと信じている。)
 物は、壊れる。かならずいつか。
 でも、……でも、それが、本当に大切なものであったとき、受け入れることなんてできない場合だってある。人と同じだ。大事で大事で、代えの利かない唯一なら当然。
 悲しくて、悲しくて、どうしようもなくて悲しくて、だから、叫んだ。遺跡の真ん中で、隣の甲太郎が目を剥くぐらい思い切り、絶叫した。

 《砲介九式》が死んでしまったことを、慟哭した。

*  *  *

 もちろん、すぐに応急処置はした。
 その場で直すなんてことは、本職のガンスミスではないからできなくて、散らばった破片を残らず拾い集め、すぐに《魂の井戸》を目指し、転送機能を使って自室に送った。頭の中でずっとそのことを気にかけながら調査を終え、家に戻り、とにかく知りうる限り最高の技術を持つガンスミスに手当たり次第修理をお願いした。
 けれど、返ってくる答えはすべてが「NO」。理由は、材質も構造も、通常で扱っているものとは全く違うから、だって。
 ……分かってる。
 砲介九式は、俺の、高校の時の友達が組立から造り上げてくれた俺だけの特別仕様ハンドガンなのだ。しかも、あの學園で得た《力》を使っている。内部の掃除や、威力を上げたり外部パーツを付けるようなちょっとしたカスタムならできても、壊れてしまった物を直すのは無理だというんだ。死んでしまった人が、還ってこないように。 
 そうして、個人的なコネではどうにもできなくて、ロゼッタを頼った。(俺は、元から銃にはこだわりが強かったから、ロゼッタお抱え銃工ではなく個人契約をしてたんだ。)もしかしたら、ロゼッタのネットワークに俺の知らない素敵な職人さんがいるかもしれないっしょ。……本当は、知らない人にこの子を触らせるなんてしたくなかったんだけど、もう、形振りなんか構っていられなかった。だから、預けて、しばらくして、返ってきたのが、今。
 返事は、ごめんなさい。
 ケースを開けずに受け取って、少し後ろに立つ甲太郎に視線を上げる。なんだか、とっても微妙な顔。困ったような、悲しそうな、悔しそうな。だから、大丈夫だよ、と笑ってみせようとして、失敗する予感がした。
 甲太郎の顔を見ると、なんでもかんでも失敗する。笑うなって、昔、言ってくれたから。だから、視界がじんわりと滲んでいって、ここが人前だということも関係なく、喉元が締まって、心臓が苦しくなって、甲太郎がちょっと慌てたように俺の目元を手で覆って、それから、ばさりと頭に何かをかぶせられる気配。直後、大丈夫って笑えなくて「ふぐぅ…」という変な奇声を発するハメになった。

*  *  *

 大の大人が人前で泣く。
 珍しいけれど、そんなに驚かれるようなことでもない。《秘宝》を持ち帰ってきたり仲間の無事を祝うときに泣く人もいるし、その逆で遺跡でハンター仲間が命を落としたときに悼んで泣くこともある。そんな大きなことでなくても、この間ドイツ人がサッカーの試合見て号泣してるところを目撃した。
 だから、泣いてしまったとしてもそこまで大騒ぎになるようなことじゃない。と思ってた。
 それなのに、俺がロゼッタ本部のカウンター前で、大勢周りに人がいるのに、愛用の銃が壊れたということでめそめそしたという話はなぜか瞬く間に広まり、噂には尾鰭と背鰭と腹鰭までついて拡散される有様。数時間後には、遠くの地にいるリックから「コーが死んだってのは本当なのか!?」って意味の分かんない電話が来た。縁起でもない。
 けれど、まあ、そのお陰かなんなのか、噂を聞いたハンターたちがいろんな情報をもたらしてくれたのは確かだ。H.A.N.Tはひっきりなしにメールの着信を告げ、それは、やれスウェーデンに元暗殺者の銃工がいて腕は確かだ、だの、やれ伝説の『ジャッカル』が使った狙撃銃を作ったガンスミスの弟子が知り合いにいる、だの、やれシカゴには凄腕の美少女ガンスミスがいる、だの…。
「ったく、どいつもこいつもお節介だな」
 H.A.N.Tに入ってくるメールを、タブレットに同期させて読みながら、甲太郎が苦笑する。すでに、「甲太郎が死んだのか」「甲太郎のクローン化が決まったのか」「甲太郎がとうとう懐妊したのか」という自分に向かってくるとんでもない誤情報は笑って済ませられるようにはなったらしい。
 ソファに並んで座り、メールを読むことに集中していたせいで冷めかけたコーヒーに手をつける。
「にしても、腕のいいガンスミスってのはみんな知ってるもんなんだな」
「俺個人の意見で言えば、殺し屋よりもずっと貴重だからね、凄腕ガンスミスってのは」
 だもんだから、もたらされる情報は俺の知っているガンスミスと重なっていたり、完全なガセだったり、甲太郎の安否も含めて、もう錯綜状態。
「このスウェーデンの銃工ってのは?」
「……死んじゃってる。映画俳優張りに格好良くて渋いおじさまだったんだけど」
「そうか。じゃあ、このジャッカル云々は」
「もうお手上げのお返事いただいてます」
「さすがにシカゴの『美少女』ってのはガセだろ」
「ううん。ガセじゃないよ」
「実在すんのか!?」
「するよ。表向きは男名で仕事してるけど、美少女だよー。Cz-75を愛するナイスガール」
「もう、断られてんのか?」
「いんや。何度か殺し合ってるからさすがに頼めない」
「……銃工、なんだよな?」
「表向きはね」
 そういや、あの子にもしばらく会ってないなー、なんて思いながらぐっと伸び。さすがに端末の文字を追い続けるのは疲れる。目新しい情報もほとんどなく、手詰まり、という言葉がちらつく。
「ほら、鼻水かめ」
「……あんがと」
 差し出されたティッシュで鼻をかんで、ついでに目元もこする。
「いい話はほとんどなし、か…」
 はぁ、と甲太郎が嘆息するのが、俺への呆れではないことは知ってる。甲太郎は、彼女が死んで――壊れてしまってから、一度も俺に「もう諦めろ」と言ってはいない。協会の人は、すぐにでも新しい高性能の銃を何でも送ってやるって言ってくれている。でも、俺が、どうしてもこの子を諦められないのを甲太郎はちゃんと知ってくれているんだ。だからこうやって、安心して甘ったれているわけです。
 ……甲太郎は、俺に黙ってこっそり母校の元生徒会長様と連絡を取ってくれたりもしてる。たぶん、砲介の今の連絡先とかそういうのを聞いてくれたんだと思う。思っているような返事が得られなかったみたいだから、俺には何も言わないけど。あ、ケータイ見たとかじゃないからね。双樹ちゃんから唐突に「日本に来る予定でもあるの?」っていうメールが来たからなんとなく察しただけ。
 元より、この件で砲介に頼ろうとは思ってない。俺がその策を口にしない理由も、たぶん甲太郎は知っている。
 砲介は、卒業後、自衛隊に入隊したい、って言ってた。自分のお兄さんのように、大切なものを守れるようになりたいって。そうなったとき、いろんな意味で俺と連絡を取るのはアウトだ。国防の担い手には、あまりにもふさわしくない「知り合い」だってことくらい自覚してる。砲介なら、彼女をなんとかしてくれるだろうけど、このことで砲介を煩わせることだけはしちゃいけない。
 どんなに砲介九式が大切でも、それ以上に、砲介のことは大事だ。物と人の区別くらい、ちゃーんと俺にもついてるんですー。
「ね、甲太郎、俺にも一杯くれる?」
「ああ。甘くするか?」
「そのまんまでいいよ」
 心がすり減っているときには、コーヒーとラベンダーに限る。もちろん、夕食は甲太郎の特製カレーだ。その三点セットに今のところ、かなり救われている。
 甲太郎がいれば、俺は、何とかなる。あの頃と何一つ変わらない関係性だ。こうして隣にいるのも当たり前。そう信じ込んでいる。
 差し出されたカップを手にとって、温かさを手のひらに納め、……って、
「甘くしなくていいって言ったのに」
「甘くはしてないぞ。牛乳多めに入れただけだ」
「ブラックでよかったのに」
「だーめーだ。今日は根詰めないでゆっくり寝ろ。ブラックじゃなくてカフェオレで我慢だ」
「なんでさ!!こんな、みんながいっぱい連絡くれてんのに!!」
 ちゃんと目を通して、情報確認したいのに!!そう食ってかかろうとするのを、苦笑で制される。おまけに、身を乗り出した額に、軽くぺちん、て。
「だから余計にだ。今日の今日でこんなに情報が集まってきてる。整理もしないでただ読んでたらキリがないだろ。今日は情報が来るに任せて、ゆっくり寝ようぜ。で、明日から精査する作業を始めればいい」
「……う、ん。でも、せめて返信くらいは、」
「あのなあ、お得意の『大丈夫、平気』はこういう時に使え。返信なんて多少遅れても、大丈夫、平気、だ。お前がクソ忙しいことは誰でも知ってる。……つーかな、そうだ、お前忙しいんだからな?調査、終わってないんだぞ。あー、もう、明日調査書類上げておくから、お前はメールの確認と情報のまとめだ。いいな?」
「よくない!だって、」
 それは俺の仕事だし、それを放り出してまで自分のことにしがみついたりはできない、って言おうとするのを、今度は完全に問答無用で黙らされた。
 ……俺には、カフェオレ飲ませておきながら、自分は真っ黒、飲んでるんだ。そういう味がする唇だ。
「でももだってもなし」
「……言いたくもなるよ。どう考えても、甘やかしすぎでしょ」
「普段甘やかせないんだからたまにはいいだろ」
「普段から甘やかしっぱなしじゃん!!」
「どこがだ!!」
 全部だ!!って言おうとして、また、うばっ、と涙がこみ上げてくる気配がして、言葉を飲む。
「俺だけじゃない。普段、泣き言言わないトップランカーが珍しくわがまま言ってんだ。ほかの奴らにも面白がらせてやればいい」
「……泣き言、結構言ってるよ」
「俺にだけだろ」
 そう言って頭を抱え込まれたら、もう堪えきれるわけなかった。みっともなくて格好悪くて情けないけど、それ以上にこの人が隣にいてくれるという幸せに涙が出てきた。
 
 ほんで、派手に一泣きした後、ぐずぐずと一発やってなんとなく寝かしつけられて、目覚めて。
 俺は、甲太郎の提案が正しかったことを思い知らされることになる。
 飽和状態の情報の中に、メールが一つ。
 それは、狙撃の名手、『アラン・Q』ことクォーターメインのじいさんからだった。

『私の古い知り合いに腕のいい銃工がいるんだ。オートマチック嫌いで有名な奴だ。もう随分な年だから引退すると言っていたんだが、最近、なぜかオートマチックの修理や改造を受けるようになったらしい。なにか手がかりがあるかもしれない。時間があれば訪ねてごらん』

To be continued...