風云-fengyun-

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***since 2005/03***

猫のナニかを被った獣

 一体、これは何なのか。
 目の前の光景を見てそう思わないヤツがいたら見てみたい。
 今は、五時限目で、ここは授業でも使われないはずの体育用具倉庫。しかも、ボクシング部がほぼ専用で使ってる場所だ。
 そこに、何故か。
 柔軟用のマットを敷いて、丸くなっている学ランの姿。一体こりゃ何だ?
 用具室の入り口で、俺はどうしようか迷っていた。五時限目、六時限目と授業をサボり倒して練習でもしようかとやってきたが、用具室を開けてみればどうだ。
 先客がいて、おそらく、寝てやがる。
 しかも、こいつを退かさないと奥にあるサンドバッグやら何やらが取り出せないときたもんだ。
 仕方なく、蹴ってみた。軽くだ、軽く。背中の辺りを爪先で小突いたが、反応は無し。ピクリとも動かず、更に、近寄ってみれば寝息は相当に深く、完全に寝入ってしまっているのは明らかだった。
 つーか、誰だこいつ。
 しゃがみ込んで顔を覗いてみるが、丸まっちまってて確認できない。僅かに見える耳朶には何かが引っ掛かっていて、それはイヤホンだった。
 こりゃ、完全にサボり野郎だ。蹴り飛ばされようが殴り倒されようが文句は言えないだろ?こんなとこで寝てる方が悪りぃんだよ。
 そう思って、そいつの耳に手を伸ばして、イヤホンを引っこ抜こうとした瞬間。
 突然世界が反転した。
 いや、そんなはずはないんだが、一瞬で状況が想像しない方へとすっ飛んでったせいで、それを把握できなかった。
 ただ俺は、起こそうとしたヤツに突然の攻撃を受けていて、間一髪避けたものの、そのまま後方へと倒れこみかけていた。
「ッ……!!」
 しかも、あろう事かそいつは俺に向かって拳を振り下ろそうとしている。攻撃と攻撃の間が、ハンパなく速ぇ。
 まったく反応できずに、咄嗟に顔面を腕が庇ったが……。
 衝撃は、来なかった。
 腕を降ろすと、目の前には殴りかかってきた張本人が。薄暗いせいでよく分からないが、まさか一年か?呆けた顔して、首なんか傾げてやがる。
「てめッ……何しやがんだッ!」
「あ、れ……えーっと、ここ、どこだ?」
 首に手をやって、でかい欠伸をかましているが、状況が把握できてないようだ。
 もしかして、寝ぼけてんのか?こいつ。
 尻餅を付いたような状態になってる俺の方へ、四つん這いで寄ってくると、顔を覗き込んできた。
「近寄るなよッ!!」
「あー…もしかして、殴っちゃった?」
「はぁ?」
「ごめんな、寝込みに強襲かけられたら反撃できるように身体が覚えちゃっててさー、悪い悪い」
 な、何言ってンだ、こいつ……。
 よくよく見れば、まだ目が据わってないことから、覚醒しきってないってのは分かるが、いや、その前に、どっかで見た覚えがあるぞ、この顔。
「お怪我はありませんかー、ダイジョブ?」
「……あんた、」
「あ、申し遅れまして、3-Cの葉佩九龍でーす」
 瞬間、合点がいった。3-Cの《転校生》、葉佩九龍。阿門サンも気に掛けてるっていう、あの野郎か?
 葉佩九龍……こいつが。
 ……こいつが?
 何をしたいんだかされたいんだか、俺の顔をじーっと見てきやがって、何なんだ?
 しばらく互いにしゃがみ込んだままガン付け合ってたが、やがて何で見てくるのかなんとなく分かって、渋々俺は、口を開いた。
「……2-A、夷澤凍也っス」
「あー、そー。そりゃどうも」
 四つん這いで頭を下げるもんだから、まるで土下座をしてるように見える。
 本当にこいつが、あの転校生なのか?
 疑問が湧いたが、それを俺は自分の中で払拭した。寝ぼけていて、あの動き。あの速さ。いくら油断していたからって俺が目で追えないなんて。
 目の前では呆けた面で今にもまた寝入っちまいそうな醜態曝してるが、さっきの動きは、相当強いって事だ。
「くぁー…ところで、今何時か分かる?」
「…五限の最中っス」
「さよけ」
 大きく伸びをして、葉佩九龍は立ち上がった。つられるように俺も立ち上がったが、葉佩九龍の身長は、何のことはない俺より幾分低い。イヤホンを耳に入れなおして、膝に手を当てて屈伸をしている。
 そうして再度欠伸をし、髪を掻き上げてそいつは用具室から出て行こうとした。
 それを、腕を掴んで止める。
「待ってくださいよ」
「ん?」
「あんた……強いんスか」
「俺?…さぁ、どうかね。俺より強いヤツはいくらでもいるけど、俺より弱いヤツも結構いると思うよ」
 曖昧な答え。自信がない、ワケじゃないんだろ?さっきまで眠そうだった目が、好戦的につり上がっている。
 咄嗟に、ネコみたいだ、と思った。飼い慣らされた愛玩動物の、じゃなくて、もっと野生の強かなヤツ。
 やりあってみたい、と思ったのは衝動的に。ただ、こいつのこの目を見れば、誰だって挑みたくなるって。それくらい、無意識だとしても、挑発的な視線だった。
「…眠気覚ましに、一戦付き合ってくださいよ」
「はぁ?何で」
「さっき殴りかかってきたじゃないっスか」
「で、何で」
「続きっスよ」
 明らかに表情は面倒くさい、と言っているが。目が違う。殺すぞ、とでも言いたげな凶暴な眼差しを向けてくる。
「えーっと、ちなみにそっちは、何?」
「何って……ボクシング」
「俺、できないよ?ボクシング」
「異種で、いーっスよ」
 ふーん、と。
 一見すると起き抜けのテンションのような気もするが、葉佩九龍は、既にヤる気だった。
 首を回して指を鳴らし、手首を振る。それからまた、大あくびだ。
「タップ後はすぐに関節を解く。目潰し、喉への攻撃、肘爪禁止、背骨後頭部も、ダメ。こんなんで、どう?」
 ……一体どんな格闘技をやってきたんだ、こいつ。
「分かりました。そっちは、何やってたんスか」
「何も」
「何も?」
「中途半端に色々囓った程度」
 にやりと笑うと、手元の音楽媒体を操作した。まさか、それを付けたままやる気だとか言うなよ?
「それ」
「ん?」
 イヤホンをしていても、声は聞こえているようだ。
「外さなくていーんスか」
「そっちの眼鏡と同じだと思っといてよ」
 バカにしたような、フン、という笑いが気に障る。ガキ臭い面してるから余計にだ。
 葉佩九龍は靴下を脱ぎ捨て、辺りを見回す。
「ガードとマッピは?」
「しなきゃ人は殴れませんか?」
「……まっさかぁ」
 無邪気に、心底楽しそうにくすくすと。
 ここに来て、もしやこいつ、まだ半分寝てるんじゃないかと思うくらいに上っついた表情を浮かべるもんだから調子が狂う。
 これが手だってんなら、最悪だな。
「じゃ、始めよーかね」
「………」
「お手柔らかに」
「そっちこそ」
「死なないでね」
 ゴングは、その言葉だった。
 何の前触れもなく、突然デカく一歩、こっちに踏み込んできて、そのまま躍り上がる右脚。辛うじてそれを避け、体勢を立て直そうとするが、そんな間は与えられなかった。着地した右脚を軸にして、今度は左脚が飛んできた。
 格闘ゲームでしかお目にかかれないような足技の連続。こんなの、日本の格闘技には無ぇ。
 まともに食らい掛けたのを腕でガードし、大振りの隙を狙って打ち込んでいく。だがまるで、全てが見切られているように、応戦する葉佩九龍には当たらない。
 そうしていると急に離脱し、足技の連続。
 離れたら不利だ、そう思って接近すれば、軽くしゃがんだ状態からのアッパー。
 ……囓ったどころの騒ぎじゃない。
 こいつ、強い。
「すっげーな。普通の高校生なら、そろそろK.O.できててもおかしくないんだけど」
 こっちが冷や汗垂らしたのが面白いのか、単純に楽しいのか、本気で感心してるのか、くすくすと息を漏らすように笑い続ける葉佩九龍の笑い方に、俺は背筋がゾッとした。
 こいつ、壊れてるんじゃねぇか?
 俺の周りには、色んな笑い方をするヤツがいる。生徒会役員で言えば、会計の狐野郎は人を小馬鹿にしたような笑い方だし、書記のフェロモン女は高校生だって事が信じられないくらい妖艶に笑う。生徒会長は滅多に笑わないが、たまに口元を歪めて笑みに近いものを浮かべるときもある。
 葉佩九龍の笑い方は、そのどれとも違って、全てだった。俺をバカにしているようにも、見えるし、異様な艶やかさも持ち合わせているし、けれどそれは、表面だけで笑っているようにも見える。
 何なんだ、こいつ。
「来ねぇの?」
 構えを直して半歩後退した俺に、葉佩九龍は小首を傾げて見せた。
 一見すると、隙だらけだ。けれど、迂闊に飛び込んでいくような馬鹿な真似はできなかった。爪先で身体を上下し、タイミングを測る。いつでも跳べるよう、いつ来ても返せるよう、慎重に。
 案の定、前触れモーションの何もないまま、葉佩九龍は突っ込んできた。まだ、まだ動くな、あっちの動きを見て。
 予想外に大振りな蹴りだった。それをしゃがんで回避、次の攻撃が来る前に、がら空きの脇腹目がけて、左フック。
 完全なインパクトの反動が手に伝わる。普通なら、これで昏倒確実だろう。
 ――――だが。
 まともに食らったはずなのに、葉佩九龍は立っていた。それどころか、一撃入れて油断した俺に、上段回し蹴りを飛ばしてきやがった。
 耳の辺りにモロに入って、辛うじて踏み止まったものの、脳味噌の奥まで揺さぶられるようなハイキックに一瞬意識を持っていかれそうになる。
 首を振って目の前の葉佩九龍を見ると、俺のフックが効いたのか、軽く噎せながら、それでもファイティングポーズは崩していない。
 顔には無邪気としか言いようのない笑顔を浮かべて。ただ、眼差しだけが獰猛で。
「今の、効いたー。腹ン中で内臓踊ってる感じ」
 ……ウソだ。
 あの隙は、俺にハイキックを食らわせるための囮だった。わざと俺に攻撃させるのが目的だった。今のは、絶対そうだ。
 なんて捨て身だよ、チクショウが。
 俺は、眼鏡に損傷がない奇跡に感謝しながら、ガードを上げた。目の前の男の笑いを、完膚無きまでに壊してやりたいと思った。
 再度タイミングを計りながら、葉佩九龍の様子を窺っていたその時。
 隙だらけに見えるヤツの表情が一気に締まって、軸足を後ろに下げた。何か、仕掛けてくる気か。それをさせないためにはこっちが間合いを詰めて攻撃を潰すしかない。
 そうしてガードを上げたまま、飛び出して、右のストレートを繰り出した、同時に、
「あ。」
「あ?って、うわッ!!」
 いきなり。本当にいきなり、動きを止めて、葉佩九龍は立ちつくした。俺は殴りかかる勢いを止めることができなくて、半ば突進のような状態で突っ込んでしまった。
「痛ッ……ちょ、あんた、いきなり何考えてるんスか!!」
 受け身を取ったのだろうか、押し倒すような姿勢になってしまい、俺の下で葉佩九龍は困ったように笑った。
「ははー、ゴメン、電池切れ」
「はぁ?」
 目の前に突き出されたプレイヤーを見ると、画面には何も映っていない。まさか、本当に電池が止まったから試合放棄、なんていうつもりじゃないだろうな?
「これがないと、俺、ヤる気が起きません。てなワケで、ごめん、俺の負けー」
「なッ……」
 どう考えても、俺は押されていた。
 これじゃあ、こいつが何と言おうと、完全な勝ち逃げだ。何がやる気が起きないだ?ふざけるな。
「あんたなぁッ、」
「俺ね、四日ほど寝てなくて、結構限界なんだわ。今ので相当疲れたし、ちょっち発狂一歩手前だから、とりあえず寝かして?」
「は?」
 それって、四日寝てないフラフラな状態だったって事か?それで…コレか?
「何だよ、それ…」
「ごめーん、今も結構頭呆けててやばいしさ。これ以上やったら、加減とかワケ分かんなくなっちゃって、本当に、」
 突然、柔らかく首に回された腕。引き寄せられて、耳元で。
『殺しちゃうよ?』
 そう、囁いた。
 寒気、悪寒、そういうものじゃない何かが背筋を走った。強いて言うなら……下世話な例えだが、射精一歩手前の、あの感覚。
 滅茶苦茶驚いて、腕を振り払うと、何故かゴン、と鈍い音。見下ろせば葉佩九龍が頭を床にぶつけていた、が。何の反応もない。既に目を閉じて、寝息を立て始めていた。
「……何なんだ、こいつ」
 まるでガキ。そんな寝顔を突き付けられて、呆れと畏怖という対極の感情が迫り上がってくるのを止めることはできなかった。だが何を言おうにも喚こうにも、葉佩九龍は目覚めない。
 どうしたものかとしばらく考え、仕方なく元居たマットの上に運んでみようと思い立って、腕を膝と首の後ろに回して持ち上げると。
(……軽い)
 予想していたよりも負荷なく浮き上がってしまった身体を持て余しながら運び、ゆっくりマットの上に降ろす。
 やけに、心臓の鼓動が早かった。それは、さっきまで戦っていた、そのせいだけじゃない気もする。
 俺は、蹴られたこめかみに手をやった。ずきずきと、痛みは存在を主張するように熱を持って俺を呵む。それを振り切ろうと頭を振って、用具室から出た。
 ……しばらくは、この痛みから逃れられないことを思いながら。

End...