風云-fengyun-

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***since 2005/03***

硝煙のにおいが消えたら

 夜。
 ただそこにある夜に上手く溶け込めなくて、浮き上がった自分を持て余しながら寮への道を手繰るように辿る。普段なら夜にこそ生きていられるんだけど、今日みたいな日はまた、別。真夜中の墓地を一人で歩くっていうそれだけで、充分に異端だしね。
 でもそれだけじゃなく、俺を夜から阻害してるのが、あんまりにも強い血と硝煙の臭いなもんだから、一歩一歩、その度に鼻を突くのが気にならないわけはなく。月明かりの中でそっと右腕を上げてみると、輪郭の浮き上がった学ランの袖がびりびりに破けているのが見えた。それから、ワイシャツの袖にこびり付いた、どす黒い染みも。
 少し前、あの呪われた遺跡の中で見たときはまだ、赤みが残ってたんだけど。今じゃすっかり制服を焦がしたかのような色に変わってる。あーあ、もう何着目だろね、制服ダメにしたの。あんまり粗雑に扱いすぎて、そのうちロゼッタから制服代は自前で、なぁんて言われちゃったりして。
 俺が、こんなにもこんなな状態になったのは、たぶん、やっぱり、一人で遺跡に潜ったからだと思う。潜る目的はクエストだったし、だからそれだけのためにわざわざ真夜中にバディを呼び出す気にもなれなくて。一人で、潜って。
 そうするとやっぱり、守る者がなくて、止める者もいないから自然、身体は勝手に暴走気味に突進して、化人を屠っても自分もヤられるって体たらく。元はこういう戦法一徹だったんだから慣れてるっていえば慣れてるんだけど、最近はとぉっても心配性で思いやりに溢れたバディ様達のお陰で無茶気味に突っ込むこともなくなって、当然生傷だって減った。
「あーあ、こんなんじゃ、絶対甲太郎、怒るよな…」
 寮が見えたところで独り言ちて、次いで溜め息。
 遺跡に潜ってる最中、俺が部屋にいないことに気付いたらしい隣の部屋の皆守クンは、とっても鋭い勘を働かせて俺の行き先を察知して、ご丁寧にメールまでくれた。
『お前、あの遺跡にいるんじゃないだろうな?』
 わぁご名答。サイコメトラー皆守はそれだけじゃなくて、案の定、怒ってて。俺が返事を送っても、その返信をしてくれなかった。これは、相当にご機嫌が斜度をつけてらっしゃる証拠。どうせ我が物顔で俺の部屋にいるんだぜ?あいつ。で、帰ってきた俺を無言で一瞥。その眼がおっかなくて、言い訳もできねーってのはこの間、同じことをやったときの甲太郎の行動。
 心配性だなーって、思う。優しいとも、思うんだけど。もっとそんな生温いのを越えちゃった何か、それをあいつから感じることもある。変な意味じゃなくてね?何て言うか、俺のために心配してくれる、とかそういうんじゃなくて、俺にもしものことがあったときに自分が動揺したりするのが怖くて、俺を見張ってるっていうエゴイスティックな何か。物凄まじく自己中にも見えるけど、俺は、そんな感情を向けられるのは嫌じゃない。
 お前のために、なんて言われたらそれこそ鳥肌だしねん。「あなたのため」っていう押し付け、大ッ嫌いな俺だから、そういうコト一切口にしない甲太郎は、清々しさの極地って感じ。
 今日は墓守のじいさん、いないなぁなんて小屋を覗き込みながら寮の裏手に回って、甲太郎から借りてた鍵を使って非常口から中に入った。真夜中、当然のように静まりかえってて、遠くに非常灯が見えるだけ。この學園の夜は、完全な闇だ。そんな中の少しの光は余計に闇を濃くするっていうけど、あの非常灯もその通り。そこだけぼやけたように明るいけど、代わりに周囲は光の色を持っていかれてしまったかのように昏い。
 それでも俺は、暗闇には慣れている。ゴーグルのノクトビジョンを使わなくったって、廊下や扉の輪郭は分かる。手探りするまでもなく進んで、辿り着いた俺の部屋。ノブに手を掛けようとして、気が付いた。
 空気に滲むのは、ラベンダー。視界の悪い状況は、嗅覚をより過敏にさせる。この隣が皆守甲太郎の部屋だけど、匂いは間違いなく俺の部屋から。
 やっぱり、そこにいるのか?
 俺の疑問に応えるように、部屋の中で何かが動く気配がした。捨て犬捨て猫の類は入れてないし、窓から誰かが侵入したとも考え辛い、ということは。
「……九龍?」
 あちゃ。大正解。俺の予感も、甲太郎が呼んだ相手も。
 俺は、正解、と言う代わりに軽く、扉を引っ掻いた。まるで猫みたいな、存在の合図。
「そこで何やってるんだ。さっさと入ればいいだろう?」
 扉一枚隔てて、少しだけくぐもった甲太郎の声に忍び笑いを返して、
「…もうちょい、待っててよ」
 周りの世界に漏れないような、小さな声で返事をする。
「待って、って…お前の部屋だろうが」
「誰かさんが不法侵入してんじゃん」
「……じゃあ、出て行くからそこを開けろ」
「イ、ヤ。」
 支離滅裂な返答に、甲太郎が黙る。そのまま、開ける気がないとの意思表示に、扉を背にして蹲った。
 俺はね、別にそこに甲太郎がいるのが嫌なワケじゃない。そうじゃない。むしろ、いてほしいのかもしれない。そこにいて、扉を開けたら「おかえり」とかって言って、出迎えてほしい、のかもしれない。
 でも、今はそれが、できない。甲太郎のせいじゃない。完全に俺のせいで、俺は部屋に入れないんだ。
「どうかしたのか?」
「怪我とかなら、心配ご無用。元気ですー」
「開けないなら、窓から戻るぞ」
「…うん」
「一体何なんだ。いつまでもそこにいるわけじゃないだろう?」
「………もうちょっと。そしたら開けるから。待ってて、ほしいなぁ、なんて…ダメ?」
 肯定の印でしょうか?扉のすぐ向こうの気配が、がさごそとその場に座り込むのが分かった。たぶん、扉を隔てて背中合わせなんだと思う。
 扉を、開けてしまいたい。でも、できない。
 気が付いちゃったから。廊下にふぅわり漂うラベンダーの匂いの中に俺が入った途端、空気は壊れてただの血と硝煙の匂いになっちまった。それはただの汚染だ。夜を、ラベンダーを、甲太郎を冒涜して鎮座しようとする異端の臭い。自分が発してるということがこれ以上ないってくらい忌々しくて、いっそ消えてしまいたいと思うのは、夜のせいでしょうか?
 とにかくこの扉を開けて、俺という異端を甲太郎に触れさせたくなかった。戦いを顕現したような姿で、甲太郎に会いたくはなかった。
 負った怪我は全部、魂の井戸で治したけど、血と制服の綻びまでは治してくれなかったから、きっと文句を言われるだろうし――――心配、させちゃうだろうし。
 だから俺はこの扉を開けない。ラベンダーの匂いで満たされた部屋には、入らない。
「……九龍、起きてるか?」
 眠たげな甲太郎の声を聞きながらじっと、俺から血と、硝煙の臭いが消えるのを、待ち続ける。

End...