風云-fengyun-

http://3march.boy.jp/9/

***since 2005/03***

空白存在

 夜も大概更けた頃。
 突然携帯電話が鳴った。ぼやけた微睡みにいた俺は、着信音で一気に覚醒へと導かれ、半ば恨めしい気持ちで携帯を開いた。届いていたメールの差出人は、壁一枚向こう側にいるはずの男、葉佩九龍になっている。
 こんな時間に一体何の用か、今日はあの怪しげな遺跡には潜らないと言っていたが、気でも変わったのだろうか。
 けれど、メールを開いてみると、遺跡のいの字もない。
『さて、ここで問題です。声もあげず、足音も立てず、毎日のように全ての人に訪れるものはなーんだ!』
 ……何のこっちゃ。
 ワケが分からず『知るか』と手早くメールを返し、再度眠りに入ろうとベッドに横たわった。けれど頭のどこかに何か返信してくるだろうというのがあって、枕元に携帯を置いていたのだが。
 返信が来ない。いつもなら『酷い』だの『愛が足りない』だの、よくワケの分からない内容の返信があるのだ。それがないと、逆に落ち着かない。何度か寝返りをうち、鳴らない携帯が気になり、結局は誘い出されるように起き上がって、九龍の部屋の扉を叩くことになる。
「おい」
 声を掛けると、中から「どうぞー」と、間延びした声が聞こえた。やはりメールは部屋から送ってきたようだ。扉を開け、中に入ると、九龍は机の上のパソコンに向かっていた。
 頬杖を付く姿は何らいつもと変わりがないのに、僅かに目を細めているその鼻先には見覚えのないものが乗っていた。
「なー、何だと思う?『あ』で始まる全ての人に訪れるモノ」
「……お前、それ」
 どれ?と首を傾げた九龍は、ノート型パソコンの蓋を開いたり閉じたり。いやいや、お前の鼻先だから。指差すと、九龍はそれを外して、
「コレ?メガネだけど。見たこと無い?」
「あぁ」
「うっそ、だって黒塚とか七瀬ちゃんとか、メガネかけてんじゃん」
「阿呆、お前が掛けてるところを見たことがないって意味だよ」
 九龍は納得したように頷いて、またメガネを掛け直す。八千穂が髪を下ろしたときと同じ、大分、それだけで印象が変わる。童顔が緩和されて、普通の高校三年といっても差し支えなく見える。
「伊達か?」
「まさか。ちゃんと視力異常だよ」
 それは日本語がおかしい気がするが。ちゃんと視力異常って、ちゃんとしてたら異常はないものだ、普通は。
「普段はどうしてるんだよ」
「コンタクト……って、あれ?言ってなかったっけ?」
「聞いたことない」
「そうだっけ」
 九龍はどこか困ったような微笑みを作った後、再びパソコンの画面に視線を戻した。カタカタと何かを打ち込んで、首を傾げる。それを数度繰り返すから、つられて俺も、覗き込む。
「コレ、何だけどさぁ」
「ゲームか?」
 画面には、ファミコンを思い出させるような映像が映っていた。
「つーか、ロゼッタの《宝探し屋》育成ゲームみたいな感じの。碑文とか罠とか解きながら遺跡を進むってヤツ」
 ロックフォード・アドベンチャーとかいうそれは、俺にしてみれば唯のゲームにしか見えないが。九龍は相当真剣な様子だった。
「あ、あ、あ、あ…あー」
 馬鹿のひとつ覚えのように九龍は「あ」と繰り返す。
 画面には、『こえもあげず、あしおともたてず、まいにちのように すべての くに に おとずれるものは?』と表示されていた。
「あさ、じゃないのか?」
「そう思って入れたんだけど、外れ。「あい」とか「あお」とか片っ端に入れてこうとしたらHPがさぁ」
 長めの前髪を、拗ねたように吹き上げる。その表情は、メガネがあってもやはり幼い。ほんの出来心で、そのメガネを取って、自分の目に当ててみた、途端、
「何だ、コレ…!」
「あ!返せよ」
「おま、なんつー度の強さだオイ」
 一瞬、目の前が眩んだぞ、マジで。
 膨れっ面した九龍がメガネを引ったくるようにして、それを掛けたが、さっきの歪んだ世界を見せられた俺としては、平気で掛けられるこいつの目が不思議でならない。
「…度が強いっつーか、乱視なんだよ。結構酷いんだ」
「そんなんでよく銃撃つ気になるな…」
「だから普段はコンタクトなんだって」
 肩を竦めて、九龍はまたゲームに戻っていく。時折目を細めたり眉間に皺を寄せたり、ゲームで躓いているのかメガネの問題なのか。
「いつからそんなんなんだ?」
「えっと、」
 画面から視線を外し、思い出すように指を折っていく。
「三年くらい前、かなぁ。いきなり」
「いきなり?」
「精神的ななんたらに因る屈折異常だとかなんとかで。よく知らにゃいけど」
「精神的って、そんなことで乱視になるのか?」
「……さぁ」
 気のない返事。まるで興味がないと言わんばかりの。自分のことだってのにこの頓着のなさがこいつらしいと言えばそうなのだが、何だか苛立った気分になる。
 九龍が机に向き直るのと同時に、変な土偶型のぬいぐるみが置かれたベッドに沈み込み、アロマに火を着けようとした。だが、何度ライターで着火しようにも火花が散るだけで火は出ない。石が薄いか?そういえば最近取り替えてなかったっけか。
 ライターを何度も擦る音を聞いたのか、振り返った九龍は俺がライターをしまうのを見て、なにやら立ち上がり、棚の中を漁りだした。
 目的の物を見つけたのか、俺に向かって、
「ほい」
 投げ渡されたライターは、S.T.Dupontのごついヤツ。高いぞ、これは。
「何でこんなモン持ってんだ?」
 まさか、とは思うがこいつが煙草?いや、吸ってるところは見たことがない。それに、こいつがヤニ臭かったことなんて覚えがないが。
 そんな考えが伝わったわけでもないだろうが、九龍は俺を見上げて、口の端を吊り上げた。
「煙草、吸ってるとでも思った?」
「……少しな」
「ハハッ、今は吸ってないよ」
 にこやかに、凄いことを言ってのけたぞ、こいつ。
 今は、だと?てことは、昔は喫煙者だったってことか。九龍が煙草?想像が付かない。
「吸ったことがあんのか?」
「吸ったことが……っていうか、前は一日に二箱ぐらいは当たり前に吸いきるイキオイだったからねぇ。腹ン中は白くても肺は真っ黒、なーんて」
 そう言ってけらけら笑う。
 俺の方は、一日二箱というヘビースモーカーっぷりに半ば呆れて九龍を見遣るばかり。
 借りたライターで火を着け、それを返すと、九龍はまた何食わぬ顔でゲームに戻った。後ろ姿、かなり襟足の伸びた髪を時折邪魔そうに掻き乱す。かなりに詰まっているのか、回転椅子でくるくる回ったり、前髪を掻き上げたりと忙しない。
 果ては椅子の背に力一杯もたれ掛かってバランスを崩し、背中から倒れそうになる。それを片手で支えて、俺は考えていた答えを九龍に差し出した。
「明日、じゃないのか」
「あす?」
「あしたの、あす」
 声もあげず、足音も立てず、毎日のように全ての国に訪れるもの。朝が不正解なら、明日じゃないか?九龍がそれを打ち込むと、
「ビンゴーー!大正解!さっすが、皆守クン、素敵!!」
「……つーかもっと早く思いついてもいいんじゃないか?お前」
「えー…」
 頬を膨らませた九龍が、画面をじっと凝視する。それから「あぁ!」と手を叩いた。
「何だ、国かぁ!俺、てっきり人かと思ってた!」
「は?」
「全ての国、なんだねぇ。全ての人だと思ってたから、明日って出てこなかったんだよー」
 ……?
 どっちでも、出てくるもんじゃないか?それは。朝も、明日も、万人に等しく訪れる。国であろうが人であろうが、明日はやってくる。
 違うか?と問いかければ、九龍は首を傾げて言った。
「……違うよ」
「どう違うんだよ」
「だって、……なんでもない」
 明らかに、何かを言おうとした。けれど、口を噤んだ理由は何だ?
 無理矢理にでも聞き出したいという欲求が芽生えたが、おそらく九龍は頑なに口を閉ざしたままだろう。
 知らず、アロマパイプを噛みしめていて、そんな俺を見て、九龍が静かに笑った。
「……ただ待ってても、明日が来ないってことも、あるんだよ」
 普段の屈託のない笑いは、どこへいった?
 九龍の放った言葉以上に、それが、気になって仕方なかった。
 だが、すぐにそんなものは掻き消して、
「よーっし、コレで先に進める!」
 大きく伸びをする九龍は、俺がよく知る脳天気で阿呆な男。それ以外にないはずだ。
 けれど。
 メガネを掛け、煙草を吸い、あんな秘めやかに微笑う九龍を、俺は知らない。
 明日の到来を勝ち取らねばならないような過去にいた九龍を、俺は、知らない。

End...